独白「文字式」
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2002年06月09日(日) |
追憶(後輩の演奏会を見に行く編1) |
「千葉県民の会」編、「ぽえざる編」と、 日記というよりは「ぽえむ突撃レポート」の様相を示している 当コンテンツ“独白文字式”ではあるが、 今日からは、詩からちょっと離れて、 5月初旬にあった後輩のマンドリン演奏会について記載する。 今日の日記ははいきさつ編。
ところで、マンドリン、というのは、 びわ、のようにちょっと丸っこい形をしていて、 てろてろてろてろてろてろてろてろ、と 高音で切なく青々しい音を奏でる楽器なのだが、 私は、学生時代にマンドリンオーケストラ(マンドリンクラブ)に所属していて、 そこで、マンドリンを演奏していたのだ。
学生時代、私がどうやってマンドリンを弾いていたかというと、 楽器を懐に抱え込むようにしながら、 メロディーに合わせて揺れまくる(まわりがあまりのってなくても)、 という実にはた迷惑で激しい演奏をしていたのだが、 こういうふうな弾きかたになったのは、 元来からの性格の、節操の無さと享楽的な部分が大いに影響している。
と、いうのも、 当時、ものすごい演奏が上手な楽団の楽団員が、 身体を実に愉快に揺らしていたので、 あ、おいらも揺れたら上手くみえるかしら、なんて 節操も無く真似したのがきっかけであり、 そうやって楽器を弾いてみたら、あまりにも楽しくなってきたので、 楽しいことはどんどんやってみよ、というような気持ちから、 過剰なまでに揺れるようになったのである。
こんな風な事を書いていると、 詩はあんなに厭世的なのに、演奏はずいぶん熱情的ではないか、 (実際、「ハンペン工場の歌」という詩について厭世的と言われた) と驚かれる方もあるかもしれないが、 「想い」を表現するツールという点では共通する詩と音楽でも、 音楽は、音の波が直接身体を揺さぶるので、 身体からわきあがる情熱、をあらわすのに良い気がするのであり、 必然演奏していると熱を帯びてくるのである。 (それと比して、詩は、個人的には、 頭の奥からにじみ出るような感覚があり、 同じ想いでも、思想に近い部分の表現に適している気がする。)
で、学生時代のマンドリンオーケストラ(クラブ)の想い出が、 甘く美しい(笑)ものであったので、 過去を思い出し、甘く美しい(笑)想い出にたゆたうべく、 後輩のマンドリン演奏会を見に行ったのである。
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