独白「文字式」
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2003年12月10日(水) |
青空も泥沼も(産業カウンセラー挑戦を振り返る編その3) |
(前回までのあらすじ) クラスメイトとの出会い、を整理すると同時に、どさくさまぎれに好みのタイプまで吐露してみる。(まあ、タイプはあくまで一つの見方であり、それに拘泥する気はさらさらないが。)
今日の日記は、カウンセラー講座にて習ってきたことで、特に印象深い点について整理する。というのも、この辺で振り返っておかないと、すっかり忘れてしまいそうだからである。
講座での学習は、座学と実技から成り立っているが、まずは座学で印象に残ったことを記載する。座学で、カウンセリングの理論を学習したのだが、それぞれのカウンセリングの理論が、心理学の発展とともに独自の人間観・病理論を形成し、その見方にもとづいて、さまざまな治療方法を編み出していく様子が学べて、実に興味深かった。
そのなかでも、特に面白いなあ、と感じたのは、来談者中心療法の人間観と病理論である。この理論は「人間は建設的な自己実現の方向へ進んでいく存在である」という人間観を前提にしている。私は、物の見方の前提となる考え方には、前向きさが必要だと思うので、(そうでないと、ある出来事に対して、問題意識を持ちにくくなってしまう)こうした理念をずばりと言い切ってしまうこの理論に魅力を感じるのである。
さらに、魅力的だと思ったのは、この理論の病理論(なんで心の病気になっちゃうのか、の説明)である。これは、自己不一致といった専門用語で説明されるのだが、私自身の言葉を使って書くと、次のような書き方であらわされると思う。
「私はこういう人だ」とか「私はこうであるべきだ」というイメージを誰もがもっているのだが、人間がいろんなことをやっていると、どうしても、自分のイメージとは異なった行為をすることだってある。そんなときに「私ってこういうところもあるのね」とすっと受けとめられればいいのだが、「いや、私はこうであるべきだ」って考えが強すぎると、その行為や、それをしちゃった自分に対して、嫌悪感や恐怖感を覚え、否定的な気持ちになって、心の病気につながっていく。
長所は長所だ、短所は短所だ。それをどっちも併せ持っている中で、それでも、よりよくなろうとするから人間なんだ。ってことなんだろう。
私は個人的に、あまりに強い「べき論」はロクなことをひきおこさねえなあ、と思っていたので、こういう考え方に素直に魅力を感じたのである。
さて、上記の考え方から導き出されるカウンセリングの技法が「傾聴」なのだが(なんでそうなるかを書いていると長くなりすぎるので省略)、実は、実技の学習にて、この「傾聴」(話をしている相手を尊重し、受け止め、その人の気持ちに寄り添うように話を聴く)の練習を積み重ねていたのである。
一番面白いと思ったことを実践できるとは、なかなかの強運だと思う。 (つづく)
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