独白「文字式」

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2003年12月12日(金) 熱と鉄と(産業カウンセラー挑戦を振り返る編その4)

(前回までのあらすじ)
座学で学んだことについて復習する。来談者中心療法は面白いなあ。

実技では「傾聴」の練習をしていたが、具体的に何をしていたのかというと、三人一組になって、一人が話し、一人が聴き、一人がその聴き方を観察してアドバイスを行ったり、話し手(クライエント)と聴き手(カウンセラー)を選び、皆でその聴き方についてアドバイスを行ったりしていた。つまり、人の気持ちに集中しながら、ひたすら人の話を聴き、そして自分自身も、自分の気持ちに集中しながら、ひたすら自分の話をしていたのである。

こんだけ気持ちに集中して人の話を聴き、そして自分の話をする、という経験、ほかにしたことがあったであろうか。そのなかから、次のようなことを感じたり、教えられたりした。(教えていただいた先生はじめクラスメイトに感謝だよなあ。)

まず、話し手としてであるが、話をきっちりと聴いてもらっていると、自分でこれまでに気づかなかったことに気づくようなことがあるんだなあ、ということを感じた。「傾聴」の技法に感情的な表現を聴きとって、それを話し手に伝え返すというのがあるが、(例えば話し手が「しんどいんだよう」と言ったら、そこを聞き漏らさずに、聴き手が「**さんはしんどいんですね」と伝え返す)こういうプロセスが積み重ねると、無意識のうちに言葉からこぼれだした感情が明確になるので、「実は今私はこうなんだ」って気づくのである。一人で悶々としていても、わからないことがあるんだなあ、と思う。また、自分の心に集中して話をしていたので、なにか自分の想いとは遠いところで質問等されたりすると、結構簡単に心が閉じていくな、ってことを体験したのも面白かった。

自分が話し手として感じたことは、おそらく別の人も感じることだろうから、人の話を聴くときは気をつけないといけないが。(こう考えると、サシで飲んだりする、という行為は実にスリリングである。心閉ざされたら、門前払いだよ。)

次に、聴き手としてであるが、人の話を聴いている時に妙な手癖があったり、あいづちに妙な口癖がある、という指摘をいただいたのが参考になった。前々から手癖は悪くて、マクドナルドで友達と話していても、やたらストローの袋を引き裂いてみたり、コップについているプラスチックの蓋に穴を開けたりと、落ち着きがなかったのだが、結構意識したつもりでも手癖の悪さが出ていたので、相当自覚しないとまずいなあ、とわかってよかった。(ちなみに、やたらとお酌をするのは、ひとえに手癖が悪いからであって、けしてタチの悪い飲ませたがりでない、ということを書いておく。)

ところで、何度も人の話を聴く機会に恵まれていると、どうしても、今日は話を聴けない、ということを実感する時もあったのだが、そういったときは自分の心が揺らいでいる時なんだな、ということ体験したのも貴重であった。当たり前のことを書いているのかもしれないが、知っておくと頭の中でブレーキが出来るような気がするのだ。例えば、自分が振られた時に、友人が振られた話なんか聞いちゃったら、一緒に心がぶれすぎて「女なんてなんだー」なんて泥のように飲んでしまい、飲み代ばっかりかかってしまうだろう。(友達同士、たまにはそういうのもおもろいのも事実。)でも、どこかで「今日のオレは振られ話に弱いぞ」と思っておくことで、相手の話に対して、少しは冷静なつっこみも出来るかもしれない。また、場の空気に負けずに、辛抱強く人の話を聴く体験もさせていただいた。

人の話をきっちりと聴くときには、相手の気持ちを汲み取る心の熱さと、それを冷静に受け止めて伝え返し、辛抱強くつきあっていく冷静さが必要なんだろなあ、と思う。

以上、座学や実習で学んだことを整理したが、まだまだ書き尽くせないなあ、という思いを抱きつつも、日記の中で整理するのはここまでとしたい。次回の日記にて、今後、どうして行きたいかをまとめて、振り返る編を終了としたい。
(つづく)


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