ハラグロ日誌
書人*ちる

   

  




国境
2001年11月09日(金)
ふだん、私たちは日本という国に住んでいる日本人という人種であるとはあまり意識しない。大多数が同じ民族で、同じような文化・教養を有した人達で成り立っている国家だからだろうか。
20歳の頃、ドイツのハノーファーという北部の都市にホームステイした事がある。18歳の女の子がいて、平日はほぼ毎日ギムナジウム(高等学校)に一緒に通った。バスに乗って、秋の並木路をくぐって、姉妹のように(私が年上にもかかわらず、妹役だったのだが。)お喋りに花を咲かせる、とても楽しい日々。
ドイツ語で代数幾何のレッスンや、歴史のレッスンを受けるのは、すごく不思議な感覚だった。
ある日、隣の席に座った身体の大きい男の子が、授業中「どうやったら、キミのようにドイツ語が上手く話せるようになるかな?」と聞いてきた事があった。お世辞だと受け取って、私は「からかわないで。」と笑ったのだが、彼はぽつりぽつりと自分がハンガリー人である事や、ドイツには親が出稼ぎで来ている事などを打ち明けてくれた。民族が同じなのに、ドイツ語が流暢でない事で、友達ができなかったり、愚鈍だと思われたりするのがつらい、とも言っていた。
その時、国境というのは地図の上というよりも人のココロの中に存在してしまうのだなあ、と気づいた。彼には言えなかったが、きっと彼がドイツ語をうまく話せないのは、ドイツという国や人に愛着を持てないせいだったと思う。私だって、親の勝手な都合でポリネシアに連れて行かれて、ポリネシア人にいじめられたりしたら、きっとその土地の言葉を覚えて、みんなに馴染んで生きていこうとは思えない気がする。
私は、日本で愛すべきドイツ人の友人に出会い、その人達の育った故郷を見てみたくて、ココロから渡独を切望していた。ドイツという国は、私にとってはボーダーレスだったのだ。









設計*しゑ(繊細恋愛詩)
感謝→HP WAZA !
素材著作権且感謝→M3