ハラグロ日誌
書人*ちる

   

  




10代最後の日
2001年11月15日(木)
7年前の今日、私はまだ19歳だった。
その頃、モーレツに好きで好きでたまらない人がいて、それはもうクレイジーとしかいいようがないほどだった。
私が好きだった人の特徴。ドイツ人で、顔の左側に傷がある。声はとても低い。嫌いな食べ物はタマネギ。クールでハードロックをこよなく愛していて、夜更かしが好き。香水をコレクションしていて、常にほんの少し良い香りがする。母子家庭で育ったので、お母さんをとてもとても大切にしている。アメリカで心理学の修士号を取るのが夢。・・・などなど。
私は彼の事が何でも知りたくて、ドイツ語の習得にも夢中になり、その上達ぶりも恐ろしいほどだった。そうしてこうして、私はその人と仲良くなる事に成功し、何度も一緒にごはんを食べたり、お酒を飲みに行ったりして、楽しい日々を送っていた。
でも、その時の私は、もちろんそれだけでは満足できなくて、欲望、としか喩えようのないものをありありとココロの中に、身体の中に感じてしまっていた。
自分の事を女として認めて欲しくて、私だけが特別だ、という事を示して欲しくて、私は1994年、11月15日の夜に彼の京都の自宅に電話をかける。
生まれて初めての「告白」だったのに、以外と落ち着いていたように思う。その日で10代も終わる、というのも背中を後押ししていたのだろうか。
電話の向こうには聞き慣れた低い声、そのBGMには淫靡なインドの舞踏音楽がかかっていた。京都の古い一軒家に住む彼は、吐く息の白さを感じさせるような、寒そうな声で、私の名前を呼ぶ。
ドイツ語だったか日本語だったか、全く記憶にないが、私は今、貴方に恋をしている、という事、今のままでは、私は満たされない事、貴方の友だちに「彼はやめた方がいい」と言われたが、どうしても諦める事ができなくて、きちんと貴方の言葉で言ってもらえないと諦められそうにない事、を一生懸命に伝えた。
彼は真摯に「君の事は、本当に好きだ、特別な友達だ。だから、話さなければいけない事がある。」と前置きした上で、「君は女だ。俺は今以上の事を君に対して与えてあげる事ができないんだ。・・・俺の、このベッドは”彼”の為にある。」と言った。(これはドイツ語だった。)
私は、どこかで予感していたのかもしれない。その言葉の重みを、真摯さを、しっかりと受け止めていた。落胆、嫉妬や諦め、それらよりもただ感謝、という気持ちになった。他意なく「話してくれてありがとう。」と口に出していた。
彼は、いつものクールな口調でなく、優しい口調で「君さえ良ければ、今度京都のこの家に遊びに来てほしい。会ってほしい人がいるから。」と言った。
振られているのに、まだ「彼に誘われた」事に喜んでしまう自分に、ココロの中で苦笑しながら「考えさせて。」と私は答えた。
少しとりとめない話もしてから、電話を切った。なんだか不思議と感謝の気持ちしかその時点ではなかった。こんなものか、と思うのと同時に「女に生まれて来なければ良かった」なんて本気で思ったりもした。
まだ携帯電話もなかった頃。マンションの非常階段に子機を持ち出して、長電話をした後、寒さに凍えそうになっている自分の姿が滑稽だった。
あと、1時間もしないうちに日付けが変わる。そこから見上げた都会のまばらな星空が、とてもきれいだった。









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