ハラグロ日誌
書人*ちる

   

  




キキのあとで
2001年12月14日(金)
普段、私はプライベートで怒る事はあまりない方だ。(怒らないように努めてもいる。)また、怒りの芽を自分で摘み取って「諦めて」しまうのも上手い。
しかし、昨日、怒りの感情で膿んだ傷口がまだ癒えない。未だに私を暗鬱たる気持ちにさせている。隊長に対して、あんなに腹を立てたのは初めてだ。怒りの表現、というあらん限りの経験を引っぱり出しても、表現ができない種類の「怒り」。
詳細は省くが、その出来事は私にとって、ひっそりと内に秘めてはいるが、凄まじく暗い感情の嵐であった。ヒトは本当に怒ると、泣いたり叫んだり怒鳴ったりできず、静かになる事を改めて知った。
ほとんど眠っていないせいで、珍しく今朝はふたり揃って寝坊。(致命傷の寝坊ではなかったのだが。)いけない。どうも調子が狂っている。
何とか自分を立て直そうとして、PCで調べものをしたり、メールを書いたり、色々するのだが、何をやっていても手につかずに、息が詰まるばかり。
仕方なく、外の風に当たって頭を冷やそうと思い、文庫本を1册バッグに入れて、自転車に乗った。
カフェでぼんやりと本を読んでいたら、突然、自分を律していたものが崩れるように、泣き出したい衝動に駆られた。あと、1行でも読み進んだら涙腺が、感情が、壊れてしまう、そんな切羽詰まった状況だった。
「夫と一緒にいたくて、なにもかも一緒にしたくて、これ以上そんな気持ちがつのったら変質的だ、と不安になる」
江國香織のその言葉に、どうしようもなく感情が揺れた。でも、こんな所で、ひとりで泣く訳にはいかない。天井を仰いで、そのとてつもないシンパシーと、昨日のかなしい怒りのフラッシュバック現象を何とかやり過ごした。
私たち夫婦はちょっとでも喧嘩しそうになったり、同じ部屋でも別々のお布団で眠る事になったりした時に「キキ!」と言って茶化しあう。このペットの名前のような軽快な響きの「キキ」という言葉は、私たちが本物の「危機」からはほど遠い所にいる事を確かめあう、合い言葉のようなものだ。
いい事を思いついた。明日か明後日、隊長に「自転車の後ろに乗っけて。」と頼んでみよう。「キキ」の原因や真相を突き詰める事は、私にはしんど過ぎるし、その意義も見出せない。できる事なら、そんなばかばかしい楽しい日常で塗り替えてしまいたい。もしも、騙されていても騙されてあげたい。はしゃいだふたり乗りで海の遊歩道まで行ったなら、塗り替えられるだろうか。いつか、この「キキ」を振り返る時、昨日の疑心暗鬼で不安な自分ばかりを思い出さないように。









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