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| 100万回生きた猫 2002年03月13日(水) | たぶん最初にこの話を知ったのは、小学校の校内放送だったと思う。「かわいそうなお話」というような感じの印象しか当時は持てなかった。ねこが好きだったので、ねこが101万回めに生き返らないのは悲しい、と思ったのかも? たまたま、先日隊長と、絵本の話題になって「100万回生きたねこ」のストーリー(隊長は読んだ事がないらしい)を話して聞かせるハメになってしまった。 『100万回生きたねこは、自分の事がだいすきで、傲慢で、何にもこわくない。王様にも、大どろぼうにも、船乗りにも、みんなみんなに100万回も愛されて、死ぬ度にみんなねこのために涙を流して、手厚く葬ってやる。でも、ねこは誰の事も好きなんかじゃなかった。 初めて誰のねこでもない「のらねこ」になって自由を得てからも、他のめすねこ達から好かれて、大得意。でも、1匹だけ「白いねこ」は彼に見向きもしなかった。 いっつも「おれは100万回死んだんだぜ!」って自慢ばっかりしてたねこは、「白いねこ」が気になります。気をひこうとしてサーカスの宙返りをして見せたり「きみは1回も生き終えてないんだろ?」なんてばかにしたりする。でも、ある時「おれは100万回も・・・」と言いかけて、口を噤み、「そばにいてもいいかい?」と初めて素直にねこは告白する。。。』 この先は、幸せで幸せで、幸せ過ぎてかなしい結末で、話す私は涙が止まらなくなってしまうのだ。 結婚って、夫婦って、本当にばかばかしいくらい幸せだけど、ずうっとふたりで生きて行くという事を考えると、どうして神様は人間ごときに、そんな末恐ろしい事を決めさせるのか?と不可思議に思う。そしていつか死に別れ、それから又ふたりとも死んだら、生きていた時間よりもっともっと続く長い、気の遠くなるような時間、同じお墓の下で寄り添うのだ。世の結婚した作家達も、自分の結婚について様々に言及していて面白いのだが、私が一番気に入っているのは村上春樹の「井戸掘り」説だ。「井戸掘り」についてはまた後日改めて・・・。 今日、やっとこの「100万回生きたねこ」のきれいな状態の絵本を手に入れて、隊長の部屋の机にそっと置いておいた。 きっと気に入ってくれると思う。 |