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| 井戸掘り 2002年03月14日(木) | 「結婚とは井戸掘りである」この説は、河合VS村上両氏の対談で語られていたものである。(あるいは結婚とはお互い自分の欠落を知るために、それを暴きあう緻密なマッピング作業だ、とも村上春樹氏は言っておられます。。)ちょっと拡大解釈を加えさせてもらえれば、人間ひとりひとりの深淵へと到達するために「井戸掘り」という大変しんどい作業を「わざわざ」引き受けるのが夫婦だという事になる。 異性との邂逅を通じて、自分が普段見ないような深いところを覗きこんでしまう、といった経験は皆あるハズで、夫婦はその衝動となる「エロス」を互いにずっと向けながら生きていくのが本来のカタチ。(エロスを「仕事」や「趣味」に向けるようになる場合も多々あるようだけど。。) なんとなく漠然と結婚って大変で嫌だなあ、と思っていたのだが、思いのほか、早くに結婚してしまって、私はとても戸惑っている。結婚とは何なのか、夫婦はどこへ向かうのか、そんな事をこの1年、ずっとずっと考えている。(ひまだなあ。。)相手と深くコミットする事で、引き受けるものはあまりにも大きい。ただでさえ、自分ひとり持て余しているというのに、その上「井戸掘り」なんて・・・。 恋愛期間の時は「もっと、もっと掘らなきゃ!!」という思いが強かった。反面、恋愛に関しては疑心暗鬼になっていた時期でもあり、ものすごく警戒心も強かった。自分の縄張りを死守せんとする動物のように、全身の毛を逆立てて相手に向かっていくような気持ちでいた。 それがだんだんと、同棲、結婚という段階を経ていくうちに、変わってきた。言葉のやり取りとか、そういうものではない部分でコミットする術を手に入れたからかもしれない。たとえば「100万回生きたねこ」の話は偶然出て来たものだが、今の私たちに必要なコミットのツールである気がしてならない。 そういう無意識下の次元で何か、課題なり欠落なりを感じ取る事ができるのは、目に見えない「井戸掘り」の段階がひとつ深くなったからではないかと思っている。 |