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| M先生 2002年04月13日(土) | きのうの日記を書いてから、恩師であるM先生の消息が気になって、ネットで代ゼミのHPなどを調べてみた。すると、元々、本職とされている教育学の某大学教授として、まだ元気に在籍されている様子・・・。本当に良かった!!すごく細くて、いつも睡眠薬がないと眠れない・・・とおっしゃっていた先生の面影。ほとんど変わっていませんでした。とっても懐かしくって、今日は1日、先生の事ばかりを思い出したり、また何百回と読み返した先生のお手紙をまた出したりして、思い出に耽ってしまったのでした。 19歳の頃、ある日突然声が出なくなりました。精神的なものだったようですが、周りには「喉の病気だ」という事にして部活などを休部したり、授業にも出ないで、(もう夏休みに入るところだったのですが)一度実家に引き上げて静養していた事がありました。私は勉強も恋愛も部活も何もかもに頑張り過ぎていて、自分で自分をどんどん追い込んでいたのです。そんな状態のところに、突然声を失ってパニックになりました。毎日毎日、嘔吐を繰り返す生活。苦しくて苦しくて、やっぱり生きていても良い事なんかないんだ・・・と、当時の精神状態ではそうとしか思えずに本気で死の淵を覗き込んでいました。1人暮らしの部屋で、遺書を書いていたのも覚えています。。書き終えてから、友人でも両親でもなく、何故かM先生に会いたい・・・切実にそう思いました。M先生の顔をもう1度見ないと、自分は死んではならない・・・ぐるぐるそれだけが自分の中でハッキリした思念としてありました。 新幹線に飛び乗って、真直ぐに東京の代ゼミに向かった私はM先生の授業の日程を調べ、すぐに申し込んだのです。当時、千葉に実家があった私は、そのM先生の講義が始まるまで、抜け殻のような状態で過ごしました。両親には声が出ないのは「夏カゼ」だと嘘をついて。渡された先生の教科書を毎日毎日眺めて暮らしました。 とうとう、講義当日。こっそりたくさんの予備校生達に紛れて、後ろの方の席に座りました、心臓のドキドキが止まりません。先生の姿を見たとたん、そのドキドキは更に倍くらいに早くなってしまって、苦しいくらい・・・。顔を上げている事さえできなくて、俯いたまま教科書を見るふりをしていました。先生はいつもの調子でお話をはじめられました。5分ほど、経った時、奇跡が起きたのです。 「2年前、札幌校である生徒に僕は出会いました。」 先生は、信じられない事に、私の高校生の時の話をその講義で取り上げたのです・・・。俯いたまま、涙が止まりません。どうしよう、どうしよう・・・90分の授業中、私のエピソードが終わっても、ずっとずっと泣いていました。 声を失っていた私は、手紙(先生へのお礼の手紙、大学で楽しくやっている、というちょっと嘘をついた手紙を用意していました・・・。)を渡すために、2年前の自分と同じように講師室へ向かいました。 先生は、私の顔を見て、心底驚愕されました。札幌の高校から京都の大学に進学したハズの私が東京にいるのだから、驚かれて当然・・・。先生は、江戸っ子口調で「バカやろう。来てるんだったら、来てるって言えよう!!あー!!恥ずかしい!!授業であんな事話しちゃったじゃないかよう!」と照れて照れて照れまくりながら、おっしゃいました。・・・あんなに愛のある「バカやろう」は先生しか言えないだろうなあ、今でも思うほどです。 「先生!」・・・不思議です。もう2週間くらい声が出なかった私の声が蘇りました。 私の嘘の手紙の事、何もかも、先生にはお見通し。でも、1週間、先生の授業を受けていたら、いつしか私は死ぬ事なんか忘れていました。もっともっと生きて、先生の話を聞いていたい。そう思いました。 だから、今の私があります。先生にも、もうずいぶんお会いしていません・・・。でも、きっと先生は「便りがないのは、元気な証拠」と分かっていらっしゃる事でしょう・・・。 結婚した事、ビックリされるかしら???また先生に「バカやろう。」って言われたい、そんな風に思います。 |