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| それが答えだ 2002年04月15日(月) | ・・・ってウルフルズ?!今日、友人と話していてそのフレーズがエンヤコラとめぐってしまいました。 たまたま私の周りは未婚のお友達がほとんどで、結婚してからというもの「結婚生活はラブラブ?」「だんな様と出会った時、"鐘"は鳴った?」(鳴りません!きっぱり!)というようなアゴがビローンと外れるような質問が多々浴びせられて閉口したものです。 私が照れ屋なのと邪悪キャラなため、素直になれないせいもあるけれど、「幸せだよ〜ん。」とは口が裂けても言えず、かと言って否定する材料もなく、もごもごと不機嫌に口籠るしかなかったのです。彼女たちがどういう答えを期待しているのか、していないのかさえも分からないけど、結婚する事によって劇的な変化があるかどうかという好奇心がきっとあるのだと思う。結婚前から同棲していたせいか、正直なところ「名字が変わって慣れないわー。」くらいしか感想がなかった私。引っ越しも、新生活グッズも何もなくはじまった結婚ライフには、そんな小ネタもあるはずもなく、聞かれるたびに友人達の抱く「新婚ライフ」像に対して「なんか違う...」と不機嫌になってしまうのは何故か?!私なりに、彼女たちに自然に答え得るその答えが、やっと出たのです! 結婚とは「井戸掘り」のよーなものと以前書いたのですが、"鐘"も"ベル"も"閃き"も"ビビビ"も何もなく、どうして「井戸掘りを引き受ける」=「結婚する事になる」という状況になったのか??? 結論からいうと、きっと隊長じゃなくても幸福で愛に溢れた結婚というものを手に入れる事は可能だったと思うのです。ある程度、私も人生観や恋愛観というものが成熟していたし、隊長もそうだったでしょう。そういう二人が恋愛をすると、無理なく「生活」というベースを共にしたくなります。一緒に生活してみて、居心地が良ければ「結婚」かな・・・とぼーっと見えて来る訳で。それはゆっくりとした歩みでだんだんと家族を巻き込みながら、あれこれ周りの事を整理しながら、決まりました。 だから「決定的瞬間」に欠けたのかもしれません。 それまでに2回「結婚かな」と家族も含めて思う人とのお付き合いもあったけれど、今思えば、そういう風に「決定的瞬間」がなかったのは同じ事で、今の私で、今の別れた彼ならば、きっと納得してお互いに共存していく事はできたと思うのです。そして当然その先には結婚という道が続いていたはず。 その準備が私にできていても、相手にできていなければ、それは縁として結ばれないし、その逆もまた然り。 だから、たまたま隊長と恋愛した時、私も隊長もその準備ができていた、という偶然の一致でしかないのです。きっと、隊長じゃなくて他の準備の整った人と出会っていれば、きっとその人と結婚していたはず。そんなもんなんじゃないかと。 きっとそんな偶然に「運命」とか「縁」とかっていう呼び名がついて回るなら、大歓迎。ひねくれ者の私にも受け入れる事ができそうです。ただ、この人しか私にはいなかった・・・そうは思わない。死ぬ時に自分だけが分かる事、それを急いで、今分からなくてもいいんじゃないかな、なんて思うのです。 |