度々旅
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2002年07月23日(火) |
anything goes |
自分の研究のことで、少し壁にあたっている。本来ならば、じっくりとメインテキストを読んで研究を進めなければならないのだが、いまいちしっくりとしたテキストを選べずに今ここに来ている。
私の学問における日本での主流のやり方は、偉人を選び、それを解釈していく方法が一般的だ。そのやり方は納得はできる。何もないことから自分で出発するより、ずっと良い方法だろう。しかし、重要なことは、過去の人間の解釈をして、それをどうするのかだ。他者の思考を、自分がいかに超えていくか・・・。
しかし、社会は常に時間とともに流動している。過去の人間を、自分の時代の視点で批判するのは、ナンセンスだ。すると、過去の人間を研究する場合は、彼らの時代の視点を持たなければならない。それによって、得られた思考は、現代を考察するうえで、どのように役立つのであろうか。
研究するということは、常に比較、類比を行い、そこから差異を見つけ出し、その差異の理由を考察し、新たな思考を展開することなのであろうか。
自分の研究において、今まで一人非常に思いいれのある賢人がいる。彼は、自称アナーキストであり、ダダイストである。果たして、アナーキスト、ダダイストを考察し、彼を発展させることが可能なのであろうか。これが、今私がぶち当たっている壁である。彼が放った素晴らしい言葉、anything goes・・・。そのようなことを言い放ってしまった人物を、批判することはできない。私は、この人物に恋と同じような思いを持ってしまった。 私の抱えている研究テーマを、彼の一言はあっさり解決しているようにみえる。しかし、彼が述べていることは理想であるということも知っている。
私が抱えている研究テーマの、方法論が見つからない。やはり、彼をもう一度考察し、それを発展させることが一番無難な方法なのだろうか。しかし、彼は、合理的方法、一つの方法の存在を否定する。anything goesなのだから。しかし、自分なりの方法が見つからないし、分散した知を包括する力もない私は、このダダイストを研究するしかないのだろうか。
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