☆帰ってきた☆それなりな日記。

2009年07月03日(金) この翼もがれては生きてゆけない私だから



現代演劇から考えるゲームの物語性
http://www.gamebusiness.jp/article.php?id=59
>演劇は「現実の人が演じる」ことによって行うために、いい役者であれば人間の内面を表現しやすい。しかし、壮麗な建築物を演劇の中に登場させることは出来ない。そのために日常生活をテーマにしたようなものが一般的になる。
おいヽ(´▽`)ノこら嘘ついちゃいけません いい役者て何。

>一方で、ゲームの場合は、人間を人間のままに表現することは容易ではない。莫大なコストをかけても、なお、成功するかどうか怪しい。だから、日常生活のようなゲームを避け、巨大な舞台装置を作り込むというコンピュータが得意な方向に向かっていく。登場する空間がインフレ化していくのだ。過剰な装飾、過剰な建築物……。しかし、ゲームの特性であるインタラクションは、それらの過剰性によって、より特別な感情の揺れを表現することが出来る。
だから、の接続がすげーズレてるような…日常生活以外で人間を表現することはできないんですか。末尾はツッコミどころ満載で何も言えない…

>ゲームが提供していた、インタラクティブメディアであるが故に独占的に保つことが出来ていた性質である「特別な感情の揺れ」は、ゲームだけが提供できるものではななくなろうとしている。
まるでテレビゲームがアリストテレスの時代から存在していたかのように言わないでください>< 


これがたとえば学会とかだったら思わず質問挙手してしまいそうだ。それともただ文章が下手なジャーナリストなのかなあ。そうかもなあ。
平田氏はいいか悪いか別として「優しくみんなで死にましょう」って演劇で現代演劇をふにゃんとさせた人なんですが、それと歌舞伎を同列で扱ってる時点で詰んでる。知識として自分の頭にインプットは当たり前だけど、論じるのを現代演劇と現代ゲームに限りたいならここへ持ち出してきちゃダメだろ。だいたい平田氏はちょっと前の現代で、今の現代はもっと現代してて、「会話してるけど会話になってないから話が前に進まない」んです…特別な感情以前の問題なんです。


ゲームを演劇と絡めて論じるなら、こないだ天地創造の感想の最後でちらっとぼやいたけど、身体性と精神性というか、能動性の欠如と受動性の増大というか、そういうのの方が目につくと思うんだけどなあ。




うん、恥ずかしい論文発表して誰かに参照されちゃうのって罪悪だとおもったよ! 真面目に自分もやらなきゃ\(^o^)/ヒャッホー


 < 過去  INDEX  未来 >


凪原みどり [HP]