薔薇園コアラの秘密日記

2003年01月29日(水) おむすび

 机の引出しを整理していたら、新聞の小さな切抜きが出てきた。

2001年1月8日(火)朝日新聞家庭欄
「地元のおむすび全国で」日本ごはん党党首で作家の嵐山光三郎さんの話
新米の時期に全国の駅で、地元の米を使ったおむすびを売ることを提案したい、とのこと。

 ドイツにいたときに切抜きしたのだと思うけど、なぜか今日まで後生大事? にとっておいたらしい。
 ご丁寧にも新聞のコラムの余白には、自分のおむすびにまつわるエピソードのキーワードが書き込んであった。(あぁ、私って、ひまだったのね・・・)
 
 今回はそれらのうちのひとつを紹介しましょう。


  * * * * * * * * * * * * * * * * 


 大学を卒業して、会社で働いていたころ。23、4歳の頃だったと思う。当時、会社の同期の男の子とよくドライブに行った。
 何回目かのドライブのとき、決して家庭的ではないこの私が、何を血迷ったか、おにぎりを作っていこうと思い立った。

 その日の行き先は、赤倉。自宅出発予定時刻、6時。当然、家族全員まだ寝ている。
 今でこそ、三角おにぎりはきゅっきゅっきゅっとお手の物だけど、当時の私にしてみれば、形よく作るのはちょっと難しかった。一人で四苦八苦しているうちに、時間ばかりが過ぎていって、ふと気が付くと出発時間まであとわずか。
 大急ぎで、梅干用のビンもおかかもお皿もアルミホイルもボールもお塩も、ぜーんぶそのまんま台所のテーブルに出しっぱなしにして、とにかく遅れないように家を出た。

 目的地に着いて、ちょっと小腹もすいたし、珍しくも私がおにぎりを作ってきたのだから、さぁ、頂きましょう! ということになった。アルミホイルの包みを友達に渡し、私は傍らで水筒のお茶の用意をしていた。

 彼はアルミホイルを剥いている。視界の端に、おにぎりの白いごはんが見えた。彼は嬉しそうにさらにアルミホイルを剥いていく。

「なぁ、タシロ?・・・(←私の旧姓)」
といったまま、ちょっと長い沈黙があった。私は、
「うん?」
といったまま、熱い湯気のたったお茶をこぼさないよう、二人の間にコップの置き場を確保していた。
「なぁ、タシロ、おにぎりの海苔は?」
などという。
 私が彼の手元を覗き込むと、な、な、なんと・・・。白いご飯の塊。つまり海苔を巻いてない白いおにぎりが・・・。が、が、が、が〜ん・・・。
 慌てて私のおにぎりのアルミホイルをひっ剥がしてみても、どれもこれもぜーんぶまっしろけっけのおにぎり。
「タシロのシロおにぎりか?」
などと、彼はかろうじて下手なだじゃれをひとつかましてくれた。
 
 ぐぁ〜〜、はずかし〜、慌てて家を出たので、海苔を巻くの忘れてた。
でも忘れるか、普通・・・。(いや、私普通でないもん)

 帰宅して、母に報告すると、ひとしきり笑った後、
「お母さんも不思議に思ったのよ、ボールとか梅干とか出ていて、おにぎりを作った形跡はあるんだけど、海苔が出てなかったの。海苔だけちゃんと片付けていったのかな、とも思ったけど、まさか祐子ちゃんがそんなことするわけないしな・・・とも思ってね。あははは、やっぱりそうだったの・・・」
だって。
 
 学生時代はほとんど自炊をすることなく4年間を過ごし、社会人になってからは自宅通勤していた私は、果物をむくとき以外、一人で台所になど立ったことがなかった。あーー、弁解にもなりませんね、こんな言い訳は・・・。

 別の機会に信州にスキーに行ったとき、サンドイッチのからしバターを塗るつもりが、わさびバターを塗ったのを持っていったことがありました。
 がー、これも今まで忘れていたのに思い出してしまったー。

 昔の私を知る人たちへ。
 祐子は10数年後の今もちっとも変わっていないんだよ。おにぎりに海苔を巻き忘れることはないけどさ。
 いやはや、おはずかしい・・・。でもなんともまぁ、祐子らしいというか。
 
 今の私を知る人へ。
 今の私の原点とも言えるエピソードだったでしょ? ふふふ。


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祐子 [MAIL]

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