2003年04月27日(日) |
韓国人のボンQとの思い出 |
10年程前、ドイツのマールブルグ大学の語学コースに通っていたときのこと。
私たちのクラスは、三分の一がアラブ人で、それ以外は、韓国、台湾、中国、日本人といった特別東洋人の多いクラスであった。 どの学生も母国のエリート大学出身の国費留学生なので、私のように駐在妻なんだけど行き当たりばったり的に学生をしている人間とは、はなっから意気込みもレベルも違い、頭が上がらないほどまじめで熱心な仲間たちだった。
そのクラスの仲間の一人に、Bong-Kyuという韓国人の少し年配の男性学生がいた。ニコニコと愛想を振り撒き、いつも私の隣の席に座った。ぼさぼさ頭にビン底の黒ぶちめがね。いつもパンパンに本が詰まったリュックサック。どうやら語学だけは特別に難儀しているようで、私と二人で毎回テストのドン尻争いをして、点数を見せ合っては苦笑いしあう仲間だった。 韓国人の仲間に聞くところによると、彼はソウル市内の有名大学の生物学の助教授で、研究論文を書くためにドイツに留学しており、20代の若い韓国人留学生にしてみれば、同じテーブルについて勉強するのもはばかられるほど立派な経歴を持った人だったらしい。韓国人は上下関係が厳しい民族なので、彼が後から教室に入ってくるとさっとみんな目礼し、休憩時間は恐れ多いと思うのか気軽にボンQと馬鹿話などする韓国人学生など一人もいなかった。 私は休憩時間に、隣の席のよしみと、落ちこぼれ同士(?)の親近感で、いつもみんなと離れて一人でいる彼に気さくに声をかけた。Bong-Kyuという名前も正式な韓国語の呼び名ではなく、私的に「ボンQ]という日本語風にいつも呼んでいた。 今から考えると、ボンQにしてみれば、同国の目下の若い留学生よりも、何も利害関係のない私のような東洋人の同胞のほうが、年齢性別を超えて付き合いやすかったのだろう。
とあるむし暑い日に・・・季節はいつだったかもう忘れてしまったけど、ボンQに散髪をして欲しいと頼まれたことがある。理髪店に行くほどの金銭的な余裕もないし、他に頼める人もいないそうで、思い余って私のところにお願いに来たという。 何だか唐突におかしなことをお願いされちゃったなーとも思ったけど、快く引き受け、彼の学生寮で散髪してあげた。ドイツに留学してからボンQは一度も散髪していないらしく、ぼっさぼっさの伸び放題だった。私は美容師の心得なんてもってないけれども、いざやってみると、見よう見まねでちょきちょきはさみを鳴らして刈り込むことができた。おかしな組み合わせでおかしなことをしているので、同じ寮の韓国人の知り合い学生はびっくりしていた。 それにしても我ながら、いいできばえだった。
それから、何ヶ月か経ってから、ボンQは韓国に帰った。 お別れに、ボンQの奥さんが選んだ韓国シルクのスカーフをプレゼントしてくれた。ドイツでボンQがお世話になった女性三人(寮のおばさん、生物学でいつもノートを貸してくれた女学生、それと私)に御礼したいがために、ボンQが韓国にいる奥さんに頼んで送ってもらったそうだ。しっかりした材質のシルクでチョゴリ風の鮮やかな色合いだった。
私はそのまま語学コースに残りしばらく大学に通っていた。 ある日、ドイツの自宅に韓国のボンQから国際電話がかかった。はじめ、誰だか全然わからなかった。男性の声で、エー、とかウー、とかの合い間になにやら片言のなまりのあるドイツ語を話している。 「もしかして、ボンQ?!」 「そう! そうだよ、ユウコ、ぼくは・・・ぼくは・・・ぼくはドイツ語を・・・」 その先の言葉がなかなか出てこない。どうやら「忘れた」という単語を忘れたようだ。もう、ホントにボンQったら・・・。二人で過ぎ去った時間を吹き飛ばすように大笑いした。ボンQは私に一言お礼が言いたくて、向こうで落ち着いてからドイツにまでわざわざ電話をくれたらしい。 今ごろ、ボンQはソウルで教授にでもなっているだろうか。
もう一つ、ボンQの思い出。 語学コースの授業で、戦争や民族の争いがテーマになったことがあった。 東洋人が多いゆえ、第二次世界大戦で日本がアジアでしたことについても話題になった。ボンQは隣の席から、正面をむいたまま、 「日本がしたことは、ぼくはいまだに許せない・・・」 と堅い声でぼそりと私にいった。私が痛々しそうな表情をすると、 「でもユウコは好きだけど・・・」 とこちらを向いて、顔をくしゃくしゃにして笑った。
ちょっとだけ、涙が出そうになった。 いまどきの若い世代の韓国人はインターナショナルな感覚で誰とでも付き合う。日韓W杯も開催されたことだし、両国間の軋轢も緩和されたのかもしれない。が、以前は少し上の年代の韓国人は、日本に対してだけは頑なな感情をもっていたはずだ。ボンQもそのうちの一人であった。でも、私のことを日本人というより、一個人としてみてくれていた。 私は日本にいたときは日本の過去の過ちを知らずに成長し、日本を離れてから、当事国の韓国から、自国・日本が過去にしたことを知らされた。 日本にいながらにして、慰安婦問題や戦争犯罪など、マスコミによって過去を自然に知るのとは違い、そういう事実を韓国人の口から知らされる立場になると、こちらの衝撃も相当なものだった。 単に自分が無知で常識知らずだったのかもしれないけど、あの時の語学コース以来、私は民族間の軋轢について少しは深く物事を考えたり真摯に取り組んだりする習慣がついた。・・・といってもそれまでは皆無だったから深くといっても知れてるけどね。 もう一つ、たわいもない思い出話。
ボンQがずっと寮の部屋でこもりっぱなしで勉強をしていると聞いたので、台湾人の友達と陣中見舞いに行った。気分転換に散歩に行こうというので、喜んでついていった。ちょいとそこらを歩き回るだけかと思ったら、裏山をぐるりと一周、延々二時間半歩き続けた。陽が傾くと晩秋の林は次第に冷え込み、途中から疲れて誰もしゃべらなかった。あれは散歩じゃなく、ハイキングの域に入ってたよ。どこをどう歩いたのかは忘れちゃったけど、迷子になったのかと思って内心すごく心細かったことだけは鮮明に覚えている。 今まで、ずっとボンQのことを忘れていたのに、先日ふと思い出した。 それも、日本人学校で飼っているハムスターを家で預かっているとき、突然に。 ボンQの論文のテーマは、「ハムスターの記憶と学習」についてだったのだ。そういえば、よく、ハムスターについていろいろ教えてくれた。専門的なことがらだった上、その専門用語のドイツ語がお互いによくわからなかったので、残念ながら当の私もあまりよく理解できなかったんだけどね。
でも、ハムスターはかわいくて賢いんだ、と嬉しそうにいってたのだけは覚えてるよ。
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