窓のそと(Diary by 久野那美)
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「軍歌」とか「反戦歌」とか銘打たれたグループがある。場合によっては「国歌」も入るかも。<正義>をわかりやすく伝えるために創られた音楽のグループ。 特別な広告のための音楽のグループ。 商品ではなく、<正義>を伝えるためのCMソング。
創ったひとは純粋に、思いをこめてつくったのだろうと思う。 「正しい」ことを伝えたかったのだと思う。 だから後々まで残ったんだろうと思う。 素敵な作品がいっぱい、あるんだろうと思う。
でも、すごく悔しい気持がするのです。 素敵な歌とは、せっかくなら、何にも拘束されることなく関わりたいと思うから。その歌とわたしとの関係は、わたしひとりの権限で決めたいと思うから。 そういう風に関われるものって、ほんとに少ないんだから。 時代とか、立場とか、イデオロギーとか、そういうの邪魔。 そういうのが必要なときは言語で論理的に主張したいし、してもらいたいと思う。 音楽は、そういうのとは違うことのためにあってほしいなと思うのです。 そういう風に関われるものって、ほんとに少ないんだから。 誰かが何かのために作った「正しいもの」をわけてもらうために音楽聴くのは、なんか嫌だ。共感できない<正義>だったりしたら別の意味で嫌だし。
「♪ちょっこれいとぉ〜ちょっこれいとぉ〜」の歌を気分よく歌ってると最後に必ず「め・い・じ♪」と言わされるのでさえなんだか悔しい私には、スポンサーもいないのにどうしてなんだぁぁ!と思えてならないのです。
グループ分けしちゃったら、状況を超えて時間を超えて遠くまでいけない。 「♪ちょっこれいとぉ〜」は「め・い・じ」より遠くに飛んでいくと困るので、そこで止めなくちゃいけないんだろうけれど、<正義>のうたもそうなのかしら? 遠くへ飛ばしたくないのかな?いっぱい、いっぱい、いろんなところへいろんなことを届けたいんじゃないのかな? 行き先も内容も最初から決まってるのはなんだかな。 悔しいというより、悲しい。すごい複雑に悲しい。 なんでかな?
もちろん。歌だけじゃなくて。 絵でも。物語でも。演劇でも。おんなじことを思う。
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