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■ いとしさの余韻
とても好きなものとか、
いとしいものとか、
楽しいと思ったこととか、
そういうものは80%くらいが、余韻でできているような気がする。
私たちは、その余韻で生きているような気がする。 一瞬の気持ちの余韻とか、思い出とか、 それはとても不確かだけれど、 意識にのぼらせた瞬間に確定性をもつ。
けれど不確かなのは気持ちとか思いとか、意識だけではなくて、 この存在たち(私たち)すらも不確かなものだと思う。 私たちの存在(椅子ひとつに至るまで)ですら、私たちが意識するからかたちを持つのだと思う。
無いと思ってるものだって、本当はあるかもしれない。 そういうところに、この世界のロマンに富んだ柔軟性があるような気がしてならない。
この世界はきっと、色んなものの余韻や意識でできている。
2006年12月07日(木)
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