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■ 2010年4月8日
今日は、久しぶりにすごく晴れてるよ。
まだまだ桜がきれいなんだ。ピンクのよく似合うAちゃんに、すごくふさわしい日だよ。
生まれたあと、急変にあって助かる見込みがない病気だと医師に診断されたときと。
わずかの望みをかけて成功した手術のあとに、起こった急変と。
急変のために、ほぼ脳死と診断されたときと。
脳死の状態から、さらに致死的な急変を迎えたときと。
その急変の状態の説明を受けて、生命維持の強力な薬剤を目の前で切ってもらおうと決断したときと。
亡くなった、ときと。
亡くなって、故郷ではないこの県で荼毘に付さねばならなくて、 その肉体とさよならしてお骨を持って帰らねばならないこのときと。
お母さんとお父さんは、いったい何度、Aちゃんとさよならしなければならなかったんだろうか。
お母さんとお父さんは、いったいどれだけの涙を流さなければいけなかったのだろうか。
お母さんとお父さんは、Aちゃんのぶんも、たくさんたくさん、泣いちゃったよ。 Aちゃんは泣かなくてすむぐらい、泣いちゃったかな。
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急変にかかわったスタッフとその部署の人たちは、 その急変が自分たちのトラウマになったとかで、 お母さんに詰られたり責められるのが辛い、とかで、 急変後うちの部署に脳死状態でおりてきたAちゃんに会いにこない人がほとんどだった。 亡くなったときのお見送りも。 そのひとたちは、自分達が否定されたことに対して過剰反応しているように見えた。
ニーチェに、こんな言葉がある。
『 多くの人は、物そのものや状況そのものを見ていない。 その物にまつわる自分の思いや執着やこだわり、その状況に対する自分の感情や勝手な想像を見ているのだ。 つまり、自分を使って、物そのものや状況そのものを隠してしまっているのだ。』
お母さんが自分たちにたいしてきっと憎悪を抱いている、 相対するのは後ろめたい、こわい、どうしよう、 と、そんな気持ちばかりが先行して、Aちゃんを、Aちゃん自身に起こっていることを、そしてお母さん自身を、誰も、見ていなかったように思う。
自分の子どもがさ、取り返しのつかないことになってしまったんだよ。
たとえそのときのスタッフの処置が適切でも、何も落ち度がなかったとしても、関わった人や関連の人、果ては医療者ぜんぶを親御さんがひどく詰ったって、それは仕方のないことだし、当たり前だよ。
もうそれは個人個人の気持ちの問題であって、お母さんに責められないようにとか、そんなの無理に決まってるんだ。
それと同じように、自分たちがその子に感じてる引け目やわだかまりも、こちらの気持ちの問題であって、それと職務を全うしないこととは別の話なんだと思うんだ。
どんなに会いづらくても、どんなに辛くても、私達はその子を看なければいけないんだ。 そりゃあ、その気持ちを否定できようもない。 けど、気持ちの問題で、同じところにとどまってはいけないんだ。
正直、親御さんはどんなにか辛いだろう?
それ以前に、その子自身は? もう、泣けもしないんだよ。
自分の心を守るのだってもちろん大事だけど、それとこれとは話が別なんだよ。 もっと極端に言えば、そういった言葉を受ける覚悟もないならあの白いユニフォームを着て患者さんの前に立つ資格はないんじゃないかな。
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心不全でしんどくって、水が欲しくってひーひー言ってる子。
でも水分制限をしているから、水分をあげることができない。
教授の都合でなかなか手術してもらえない。状態はどんどん悪化する。
薬物治療も限界まできてる。
ラインがたくさんあって危ないから、暴れるその子に鎮静薬を飲ませて抑制帯をかけながら、先輩は「こんなひどいことして、ごめんな。 先生も私らも、みんな地獄に落ちるわ」と呟いていた。
「そうですね」と、私もぽつりと呟いた。
業が深いと思い暗い気持ちになる反面、 でも、と、生死のことについてふとした考えが頭をよぎる。
私達がどんなにがんばっても、助からないときは助からないし、
もうだめかと思っていても、回復してくる子は回復してくる。
結局のところ、人は、本当の意味で、人を生かすことにも死なすことにも関与できないのではないかと思う。
自分たちのせいで亡くなったとか、自分たちのおかげで生きながらえたとかいう考えは、どちらも根源は同じエゴのような気がする。
魂も肉体も、この世をまわりまわっている。その循環の傍らに、生きているものがうごめいているだけで、それはただの無機物のようなものなのではないか。
その循環を邪魔することなんて、なんぴとたりともできないのではないか。
罪深いと感じることすら、傲慢甚だしいのかもしれない。
2010年04月10日(土)
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