|
|
■
|
2006年03月08日(水)
|
思い出話 |
|
確定申告の季節でして。 とりあえず、後はプリントなり清書なりするだけの段階に漕ぎ着けた。 毎月、所得税分を除けておくなんて器用な真似は出来ないということで。 超金欠の春。
そんな春に追い討ちをかけるように、12日は祖母の49日。18日は母上の誕生日と出費がかさむ。 さらには、本来なら入学祝なんぞもプラスされるところなんだが。 このところ毎年のように大学に入学する甥やら姪やらがいる気が。 今年も洩れなく甥っ子が大学に入学しやがり。 しかし。残念ながら「超」が付く状態なので叔母ちゃんからはお祝いは上げないよ。 お婆ちゃん(母上)が上げるってんだから、それで良かろう。
その母上の話。 先日の祖母の葬儀の際に、親戚の中で一番まともな子供に育って良かったな。という話をした。 すると、母上が「誰が育てたと思ってんのよ」と、某占い師みたいな口調で言いはなった。 まぁね。お蔭様で大きくなりました。人様に迷惑を掛けない程度の常識も身に付けました。
そんな会話をしていた時、テレビでは旅番組をやっていた。 東北のナンタラという場所だ。母上の実家は宮城だから、多分その辺。 唐突に母上が思い出話を始めた。
母:「昔、ここに逃げた事があって。お父さんが迎えに来たのよ」 私:「へー」 母:「お父さん、お金が無くて工場の材料売ってお金作って来たのよ。」 私:「帰りの電車賃はどうしたんだ?」 母:「だから、往復の切符代を作って来たのよ。」 私:「そんなに(材料って)高く売れるもんなんだ。」 母:「銅が入ってるから売れたのよ。それに、私も多少お金持ってたし。」
・・・・・・おかんよ。
アンタがお金持ってったから、
父上がお金無かったんだろうがっ!
いや、母上には言わなかったけど。 言わなかったけど、心の中で大いに父上に同情。 母上としては、そんだけ父上が母上に惚れてたみたいな。 そんな感じの惚気混じりの思い出話なんだろうけどさ。 なんつーか。 まぁ、家計を母上が握っていたが故の出来事なんだろうけど。 女って嫌よねー。 いくら頭に血が上ってるように見えても、ちゃんと思考回路動いてんのよね。 物を投げるのにも、絶対に壊れない物を投げるっていうじゃん。 なんか、ちょっと違うけど似たような感じ。
っていうか。 逃げるにしても、もう少し近場に逃げてやれよ。 昔の電車賃なんて知らないけどさ。 昔は新幹線だって無かった時代だし。 行くのだけで結構時間もかかって。 その間、仕事放り出して行ったって事だよな。
って・・・あら? その間、私たち子供はどうしてたのかしら? 私の記憶に無いし、会社を始めた頃でお金が無かった時代ってことは。 私が小学校に上がる前の話じゃないのかしら?
近頃、母上と一緒にいる時間が長くなって、色んな思い出話を聞くようになった。 北海道に旅行に行ったとか。 微笑ましい両親の思い出話として聞いてはいるんだけど。 でも、どうしても考えてしまうんだな。 当時、私は3歳で。我姉妹1号ですら8歳だよなぁとか。 子供達はどうしてたんだろう?って疑問をね。
覚えてる範囲では、親がいないとテレビも見放題、夜更かしし放題。 とにかく、怒られない開放感を味わっていた気がする。 それは、私がお気楽な末っ子だからの思い出なのかもしれないけど。
思い返せば、母上の躾は子供にとっては意地悪かと思うぐらい厳しかったし。父上の愛情は自分勝手なぐらい深かったし。 けど、しっかりした子供に育ったのは、この放置旅行の賜物かもしれないわな。
|
|