ほり日和  
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2003年08月20日(水) 夏のスピード

朝、出勤のため地下鉄に乗ると

まだ夏休みだというのにやたらと制服姿の高校生を見る。

制服は統一性なく、学生たちはおよそ同じ高校とは限らず

おそらく複数の高校の生徒たち。

なぜ…?

よくよく考えたら、今日は8月20日。僕の記憶が正しければ、

あっ…、全校出校日か。

懐かしい。そんなイベントもあったな。夏休み唯一の生徒全員出校。

ちゃんと1年間の出席日数にカウントされてるという抜け目ない日である。

他県はどうか知らないが、

名古屋のほとんどの小中高の学校は20日か21日がこれにあたる。

僕は今でも思う。

ハッキリ言って無駄な出席日である。

学校行ってすることと言えば、生徒に対して環境的にも時間的にも

思いやりの足らない校長先生の訓示。

担任の教師の”夏の宿題どの程度?”審査もろもろ。

残りの夏休み浮かれるな的訓示、及び事故には気をつけましょう指導。

あと10日もすれば会える同級生たちとの接見。

…意味はあるかもしれないが、深くはない一日。

プール出校日とはワケが違う。

残り少なくなった夏休みを、改めて痛感するのみである。

この時期になると、はじまる前あんなに長いと感じた夏休みは

ものすごく切なくて、刹那的で、まるで蜃気楼のような

そんないろんな形容のできる日々だったと思うのだ。



僕には数年前から”夏休み”という言葉が、

日常の生活においてもう関わらないものになっている。

42日間あるサマーバケーションと

1週間もないお盆とでは何かが違う。

それに心踊る昂揚感も期待感も。

それに伴う計画も充実感も。

そして、スピードも…。



暑中見舞いが毎年届く。

同じように返信の手紙を書き始めるころにはもう残暑だ。

学生の時に感じた夏休みのはやさ…

夏休みはないけれど、それを卒業してから

毎年やって来る今の僕が感じる”夏”のはやさ…

いったいどっちが早いんだろう?



高速道路を走る車の窓から覗く、流れ行く景色が

気づけばはるか後方で陽炎となるように…

そして見えなくなるように…

夏は今年も少ない思い出と共に僕の体をすり抜けて行くような気がした。



夏が終わると、僕はひとつ年をとる。

毎年必ずあった全校出校日を今は、過去に遡らなければ

思い出せないものになっている。

それだけの年齢になったし、年を重ねたのだ。



それだけは、どんなに時が早く進もうと決して変わらない。


ほりさとし |MAILHomePage

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