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2002年09月17日(火)
朝の風景
れん
夜更かししてしまった次の朝早く、大家に叩き起こされた。なんでももうこの時期不要になったでっかいウォータークーラーを、またうちのベランダに置きたいらしい。別に置くことは構わないし、それにこの家はもちろん大家のものだしいいのだが、しかしよりによって夜更かししてしまった次の朝早くに来て欲しくなかった。完全に頭はまだ眠っている。
大家のウォータークーラーはとにかくでかい。この重さと大きさのものを、うちの細い階段を登り、細い通路とドア口を通し、モノが散乱している僕の部屋を横切ってベランダに出すのはけっこうな労作業だ。しょうがないのでちょっと手伝う。
ウチに入ると大家は必ず、れん、今日はどこにも行かず片付けろ、掃除をしろ、汚いと病気になるぞ、掃除したかどうか夕方見にくるぞ、と冗談混じりに言う。まあしかしこんなことは年に何度のことだし、ホントに点検にくるようないやらしい大家でもないし、自分のめんどくさがりな心を背中から押してくれるよいチャンスなので、その日は素直に掃除をしたりしてしまう。しかし、この日は安眠を妨害され、しかも夜更かしの次の朝だったため、いつもと同じ大家の口上についつい逆切れしてしまった。もちろんあからさまに嫌な顔したり悪態ついたりなどはできなかったが、とにかく頭に来てしまい、絶対にもう掃除なんかせんぞ、と決意してしまい、その日は午前中早くから出かけてた。
その逆切れは次の日まで続き、しかも最近怠けてなかなか顔を出さないスイーパー(掃除人)がその朝は珍しく、ごみはあるかー、とまるで申し合わせたようにやってきたのにまた逆切れし、前日大家から指摘されたミネラルウォーターの空いたペットボトルを全て、それにもうぼろになったタオルだの雨に濡れた新聞の山だのをぜんぶおまけに付けて、山ほどのごみを出してやった。スイーパーは、こんなにいっぱい持って下まで降りれるわけねーじゃねーか、洗濯モン何日も雨がザーザーなぶっとったなあ、と悪態つきながらペットボトルを足蹴にしながらぜんぶ持っていった。店に持っていくと10ルピーになるビズレーリーの5リットルペットボトルも十本以上ごみとして捨ててやった。とにかく完璧に逆切れの朝だったが、おかげで流し台の下はすっきりと片付いてしまった。早く大家に見にきてもらいたくなる。くるはずないのは分かってるけど。
朝の風景。部屋の中でベットに溶け込んでいる僕の耳元にもしっかりと、水撒きの音と箒の掃く音が届く。まず長い柄の箒で道を掃くオヤジが数人目につく。雨のおかげでこの頃はそうでもないが、乾燥している頃はその砂埃が四階建て建物まで舞い上がる。彼らが行き過ぎると角や路地の入り口にごみの山ができる。手押し車を押すオヤジがやってくる。そのごみをただの二枚の手ごろな板で挟み掬い手押し車に載せて行き過ぎる。主婦たちは柄の短い柔らかな箒で部屋を掃き、表のテラスや裏のベランダを掃き、食用油の空きボトルやバケツで鉢の緑に水を撒き、残りの水をベランダやテラスに撒いて柄のないかたい箒で水と埃と砂を流す。ちょっと裕福な家庭は掃除人や庭師がその仕事をしている。男たちは朝の水浴びをし、ひげを剃り、体を拭ったタオルを表にかかった紐にかけ、頭を櫛で整える。何人もの廃品回収人がカバーリー、プラスチックワーリー、ペーパーワーリー、などと掛け声かけながら自転車で何度も何度も回ってる。手押し車を押してスイーパーがごみ収集にくる。何曜日と何曜日でなく毎日、一軒一軒ごみを収集にくる。彼らは便所掃除や通路の掃除もする。きれいにしろ、とか、しっかり掃除しろ、とか怒鳴られながら。悪態を返しながら、世間話しながら。主婦は洗濯物を干す。ちょっと色が違うけどどれもおんなじようなシャツを何枚も何枚もずらっと並べて干す。ズボンもランニングシャツも何枚も何枚も。昼前まで箒の掃く音は止まない。
商店やレストランは日に何度も掃除している。ご飯を食べてる人の足元で、おかかえの掃除人が箒で掃いている。雑巾がけしている。店の前を箒で掃き水を撒く。大学もカレッジごとに、学部ごとに何人も掃除人をかかえてる。彼らは日に何度も箒で掃いている。デリーの街なかの車通りの激しい通りは深夜、箒で掃いている。いつも目にするのが最高裁判所前のティラーク・マールグ。あの長い大通りを深夜、柄の長い箒で掃いている。デリーじゅうの道という道、路地という路地、大雨でもないかぎり箒で掃かない日はないのではと思う。デリーにいったい何人、掃除人がいるのか。何千人といるんだろうか。
インド人はこんなにきれい好きなのに、こんなに毎日掃除して洗濯して水浴びして、でもどうしてこんなにデリーは散らかってるんだろうと思う。
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