Spilt Pieces |
2002年05月11日(土) 分析 |
分析するというのは、怖い。 私はしばしば気づかぬうちに周囲の人たちのことを分析してしまう。 それがどんなに大切だと思っている相手であっても、気がつくと。 その分析が合っているかどうかは分からない。 しかし、時折偏見に満ちた考えを誰かに話してしまう。 その誰かに先入観を植え付けてしまう。 とてもよろしくない。 かつて、そのようなことをされたことがあった。 高校に入学して一年目、そのせいで友達ができずに悩んだ。 気の合わないクラスメイトが、私の文句を周りに言いふらしたのは、入学してから一ヶ月経たないときだった。 「私は何も言わなかったのに」 同類になりたくなくて、口を噤んだ。 結局その一年間で損をしたのは私だけだった。 それなのに今、私はいつの間にか誰かを分析している。 危険な人を遠ざけようとしている。 防衛行動なのか。 とりあえず、おもしろくない。 友達を裏切っている気がするのだ。 私の好きなタイプの人間は、フィーリングの合う人だ。 かつて好きになった男性がよくその言葉を使っていた。 当時、私にはその意味がよく分からなかったが、今はとても分かる。 フィーリングの合わない人のそばにいるのは耐えがたい。 フィーリングの合う人のそばにはずっといたい。 言葉がなくても趣味が違っても、何だかそばにいたい人というのがいる。 自分にとって、必ずしも言葉というものは必要ないだろうと思う。 それでも言葉を求めてしまうのは、自分が弱いからだろうと考えた。 |
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