Spilt Pieces
2002年05月16日(木)  一日
今日、自分がたくさん笑っていることに気がついた。
今日、嫌いな人とも普通に話せた。
多くのことを許せる気がした。
何か楽しいことがあったわけでもないのに、何となく、今日の自分は幸せだと思った。


誰かを嫌うということはとても悲しい。
人の好き嫌いの多い自分としては、日々において悲しいことがとても多いのだ。
声が大きくて、また、感情が表に出やすいというのは困ったもので、嘘を上手につけたなら傷つけずにすんだ相手は多いだろうと思う。
そして、自分が人間関係のトラブルに巻き込まれることももっと少なくてすんだようにも思う。
それがよいのか悪いのかは、今も分からないが。


うとうとしながら、気がつくと現実なのか夢なのか分からなくなることが近頃多い。
そのようなときは大抵が夢なのだが、はてさてどうして、現実よりも現実らしい。
まるで普段見えないフリをしている問題について、夢の中で解決策を探しているかのようだ。
何とも、リアル。


感受性というのはしばしばよい意味において使われているように思うが、そうとも限らないと、一年以上前から本気で思っている。
なぜか。
真実かどうかは別として、私は周りの親しい友人に一度は指摘されている。
感受性が強い、と。
道に転がっている石ひとつを見ても何か話し出すし、いつの間にか空を見上げて時間を忘れていることもあるが、それを感受性というのか。
私には未だによく分からない。
ただ、友人たちより泣く回数が多いのは否めない。
それを、自分としてはとても厄介なことだと思っている。
傷を感じることなど、少ない方がいい。
だが、本気でそうも思えない自分もいる。
パラドックスが自分の中にあって、否定したいのか、したくないのか。


何だか眠くて文章が意味分からなくなってきたので今日はこれまで。
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