Spilt Pieces |
2002年05月18日(土) 時間 |
昨夜、友人の家に泊めてもらった。 朝方まで話してから眠り、一度起きてから昼寝をした。 何と贅沢な生活をしたことだろう。 時間があるということは何にも増してすごいことだと思う。 予定表を見ながらでないと友人との約束一つできないような生活は、あまり好きではないが実際のところよくやっている。 古代ギリシャでは奴隷制度があった。 この前聞いた話だと、かの有名なソクラテスは無職だったのだという。 時間がないと、じっくり考えることもなかなかできないということか。 私は考え事をしたくないとき、大抵予定を詰め込む癖がある。 しばしばマイナス思考になってしまいがちな自分としては、考えない方が日常生活を円滑に送れる場合が多い。 だからといって考え事をしないというのはよくないと、定期的に思い直す今日この頃。 話変わって。 過去というのは、いつからが過去になるのだろう。 自分にとって流れていってしまったはずの時間をまだ持っている人がいるとき、何をもって過去と定義するのか分からなくなることがある。 例えば、自分がもう過去だとして吹っ切ったはずの人間関係も、新しい情報の入ってこない位置にいる人の中では、私に関する最新の情報であり、現在として見ることとなるだろう。 そしてそれは私のことを判断するための情報となる。 その場合、私にとって過去であっても、周囲からすれば現在なのだ。 全ての人に、修正を加えに出かけていかない限り。 時間的概念としてではなく、個人の中における昔・今を考える際の現在と過去というのは、一人しかいない自分自身による認識か、それともそれより多くの周りにいる人たちの認識か。 私としては自分自身の中の認識を最優先させたい。 この場合における真実は、他者が決めるものでもなく、自分がどう思うかに拠っていると考えたいから。 しかし、例えば1対99であっても私は自分が正しいのだと主張することができるのだろうか。 今の自分には、まだそのような自信はない。 今書いているような例だけではなく日常生活においても、よほど気を引き締めておいても大きな流れに流されかけている。 過去は消せないのだと思う。 そこからどうやって生きていったらいいのか、考えようとする。 大なり小なり。 傷を抱えた人など、悲しいほど多くいる。 |
Will / Menu / Past : Home / Mail | ![]() |