Spilt Pieces
2002年05月25日(土)  性教育
最近、性教育を初めてまともに受けている。
友人に勧められた医学部の講義。とても勉強になる。


先日は、不妊治療についてと、避妊方法についてだった。
「二つ続けてやるのも変な感じですよね」
教授は少し微妙な顔をして笑った。
ちなみに、最近の別の講義では人工妊娠中絶についてを取り扱っていた。


夫婦のうち、十組に一組は不妊なのだという。
それはとても高い確率のように思う。
その話を母にしたら、「私の周りでも不妊の方って意外と多いのよ」と言った。
単に、私が知らなかっただけらしい。


不妊の原因は様々らしいが、原因が夫にある場合が四分の一、妻にある場合が四分の一、両方にある場合が四分の一、不明が四分の一、とのことだった。
女は跡取りを産まなければ意味がない、というような考え方のあった時代について、教授は悲しそうに批判をした。
子どもができないことを女のせいにばかりされていた時代。
今もそうして責められている女性がどこかにいるのだろうか。
知らない、ということは怖い。


講義中のビデオに出てきた夫婦は、女性の卵子がないことが原因だった。
夫婦は、卵子提供者を求め体外受精を望んだ。
体に受精卵を受け入れやすくするために、色々な薬を飲んだりしなければならないとのことだった。
諸々の費用は、決して安くない。
また、受精卵を高い確率で着床させるために、複数の受精卵を体に戻すらしい。
「多胎児の危険性があり、成功率も高いとは言えません」
教授の説明を聞きながら、私は子どものための部屋を用意して結果を待つ画面上の夫婦の祈るような表情を見ていた。


どこからを生命というのか、それはとても難しい問題のようで、受精したときからなのか、着床してからなのか、それとも産まれてからなのかなど様々な見解があるらしい。
生命に関して、いくら考えても答えなど出ない気がする。
またしても、私の怠惰か。


「コンドームを見たことのない人はいないと思いますが」と言って、実際に教授が避妊具を席に回した。
驚いたのは、その前提。
性が解放されているという話はよく聞くが、誰もが見たことのあるもの、という認識はどうか。
隣にいた友人は「見たことない」と、耳元で囁いた。


その講義の受講者は十人前後。
多くの人が知識もないのに性教育と聞くと倦厭し、正しい知識もないままにセックスだけはしているのかもしれない。
私も最初は抵抗があった。
中学・高校の頃、保健体育の試験で高い点数を取ることは恥ずかしいという暗黙の了解があった。
何と馬鹿げたことだったのだろうと、今初めて性教育を受けながら考えている。


教育とは何なのだろう。
近頃しばしば新学習指導要領について取り上げた話を聞くが、その「ゆとり教育」の中では、「恥ずかしくない」性教育が展開されていくのだろうか。
命に絡んだことを考えるとき、私はいつも結論が書けない。
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