Spilt Pieces
2002年06月08日(土)  年月
今日、家に従兄弟が遊びに来た。
従兄弟との年齢差は、20歳だ。
彼女が私くらいの年齢になったとき、私はどんな大人になっているのだろう。


以前伯母が言っていたこと。
「むかつく『おばさん』には努力なしでもなれるけど、『おばちゃん』はそういうわけにはいかないのよ」
人生の多くのことを乗り越えて、それでもまだ笑っていられるというのはすごいことでしょう、私はおばちゃんと呼ばれること、顔にしわが増えたこと、誇りに思うわ、と。
確かに。
私はおばちゃんになるためには、これから先仕事も友情も恋愛も結婚も、多くのことを考え、選択していかなければならない。
もし途中で諦めてしまったり多くのことを捨ててしまったとしたら、おばちゃんになどなれない。
長いな。


私は年功序列をあまり気にしていないし、その分後輩に呼び捨てにされても腹がたたない。
むしろ距離が縮まった気がして喜んでいるくらいなのだが、なるほど、年上の人だからという理由だけで尊敬しようとは思わないが、自分には分からない何かを知っているというのは疑えないだろう。


自分の悩みなどちっぽけだ、と、いくら思ってもそれは思うとしているだけで、本気で思っていないとそれは意味がない。
だが、多くの人に出会うたび思う。
この人はどんな人生を歩んできたのだろう、と。
私の祖母は、戦争中に夫と子どもを全て失い、その後祖父と再婚した。
しかし私はその事実を祖母が亡くなる直前まで知らなかった。
私の前にいた祖母は、いつも優しく笑う素敵な女性だった。
街の中で、孫の手をひいて楽しそうに歩いているお年寄りは、何かを乗り越えて今があるのかもしれない。


従兄弟が二十歳になる頃。
私はどんな大人になっているのだろうか。
結婚しているのだろうか。
私は、今抱えているような悩みをもう解決しているのだろうか。
それは、今から切り離された時間として未来があるのではない以上、願っても無理なことだ。
今日の自分、明日の自分、明後日の自分、毎日何もしなければ何も解決するはずがない。


「しわがなくていいわね」
今日、その従兄弟の母である叔母に頬を撫でられた。
「でもあなたもそのうち私と同じ年齢になるわよ」
私は答えた。
「その頃おばちゃんはもっとしわが増えているよ」と。
年齢は、追い越せない。
そして叔母は、常に私より先に多くの経験をしていく。
私が従兄弟に対してそうであるように。


年月とは、連続的なのか非連続的なのか。
皆が答えを知っているはずなのに、しばしばそれを忘れている。
私は、二十年後におばちゃんになれるのだろうか。
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