Spilt Pieces
2002年06月10日(月)  命
私は今、腹が立っている。
そしてその理由は、ひょっとしたら何にも夢中になれない自分ならではなのかもしれない。
だがそうだとしても、それでも今の感情は怒り。


今日、サッカーで日本戦があった。
その影響でか、日曜だというのにバイト先にはほとんど客が来なかった。
「もう上がりましょうか」そう言われて、ちょうどサッカー開始くらいの時間に帰宅した。
居間に家族が集まっていたので、見られないはずだったサッカーをしばし一緒に観戦することに。
結果、日本の勝ち。
テレビの画面からは興奮した解説者と会場の様子。
とても嬉しそうな多くの人たち。


普段サッカーにあまり興味のなかった私も嬉しい気持ちで階段を上って部屋に戻った。
そうして数時間。
ついさっき、ネットをしていた父が一言。
「ロシアで暴動だって」
父はニュースを見ていたらしかった。
インターネットというのはとかく情報が早い。
「暴動?」
民衆約二万人が暴動を起こし、現在、死者一名。


私は、この前の三月に祖母を亡くした。
色々な事情があって、私は危ないと聞いてからも亡くなってからも行けなかった。
小さな白い布で包まれたお骨と対面したのは、葬式が終わってからだった。
私は未だに、祖母の死を受け入れることができずにいる。
考えるだけで涙が止まらなかった時期が過ぎて、私は全く泣かなくなった。
何か、切り離されたものとして考えてしまっている。
亡くなったことは認識しているけれど、あの家に行けば会えると思っている。
頭が勝手にそう思ってしまっている。
私の記憶にあるのは、笑って私の名を呼ぶ祖母の顔。
現実を見るのが怖いのか。


「勝手に先に逝きやがって」
祖父母は非常に仲がよかった。
悪態をつく祖父は、祖母が亡くなってからハタ目に分かるほど、痩せた。


祖母の死は、急だった。
倒れてから、一週間と少しだった。
昨年の夏、私は「またね」と手を振った。
倒れる半月ほど前、祖母が最近持ったばかりの携帯電話の操作方法を間違えて私のところに偶然電話をかけてきた。
「あら、間違ってかけちゃったわ」
そのとき時間に追われていた私は、ほんの少し会話をしただけですぐに切った。
それが言葉を交わした最後だった。
最後に聞いた言葉すら、覚えていない。


そのとき以来、私は考えたくないと言いながら、以前より死について考えるようになった。
就職先を実家から近くにしようと考え直したのも、遠くに住んでいたがために両親が祖母の最期に間に合わず、辛い思いをしているのを見たからだ。
命とは、何だろう。


私は、腹が立っている。
どうして、試合の勝ち負けで人が死なねばならないのか。
このようなことは、これまでにも数多くあったことなのだろう。
だが、これまでにもあったことだから、と、流されてしまってよいことなのだろうか。
私は、祖母の死を今も受け入れることができない。
今回の試合の暴動で亡くなった人の遺族は、一体いつになったら癒される日が来るというのだろう。
やりきれない。
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