Spilt Pieces
2002年07月23日(火)  ギャップ
ギャップがある人はかっこよく見える。
私は毎回これで人に惚れてしまう。
女の人でも、男の人でも。
ギャップのある人は素敵に見えてしまう。
というよりむしろ、影を求めてしまうのだろうか。


例えば。
私の初恋の人は、クラス一番の乱暴者だった。
みんなが怖がっていた。
だけど、近所に住んでいた私は、彼が幼い妹の手を引いて散歩に連れていく姿を見ていた。
両親の離婚・母親の再婚・離婚、そんなことの繰り返しで、彼は何度も名字が変わったのだと聞いた。
彼は乱暴者だった。
だけど、一緒に遊んでいたとき、塀を登れなかった私に手を貸してくれた。
何もしゃべらなかった。
それでも、優しい人だと知っていた。
だから、もっとそばにいたかった。
小学生のときの淡い初恋だったから、今でいう恋愛とはもちろん感情は違うのかもしれないけれど。


誰よりも強いと思っていた人が、泣いた。
いつだって、強い言葉を発することのできる人。
そう思っていた。
そして、私のような人間の痛みなど分からないのだろう、とも。
だけど、本当は弱いことを知った。
同じなのだと知った。
人前で泣かないための努力が出来るというただそれだけのことで、私と似たような感情を持っている人だった。
私は、弱さを嘆くばかりの自分が恥ずかしくなった。
そして、彼女のそばにいたいと思った。


今日、これまであまり話したことのなかったクラスの男の子としゃべる機会があった。
硬派だと思っていた彼は、実は下ネタを話しまくる人なのだと知った。
かなりの驚き。
そして、きつい喋り方をする人だと思っていたのだが、よくよく聞いたら内容は人を思いやったものだった。
ただ、話し方が不器用なだけ。
そう思ったら、楽しくなった。
別に、その程度で恋愛感情を抱いたりはしない。
だけど、人を知るというのはなんと魅力的なことなのだろうと思った。
知らないというのは、どれほどもったいないことだろう。


実のところ、私はギャップのある人に弱いわけではなくて、ただ単に、人を本当の意味で知りたいと願っているだけなのかもしれない。
いくら喋ったところで、未だに私が私を知らないのと同様に、誰のことをも分かるまい。
それでも、少なくとも、イメージで誰かを勝手に定義づけるのは、怖いというより寂しい気がする。


私は本当にギャップに弱いのか。
それとも、それはある種の警鐘なのか。
よく分からないけれど、とりあえず、私の友達には一般的に言うところの「変わり者」が多い。
なんと幸せなことだろう。
Will / Menu / Past : Home / Mail