にっき日和
おしながき前よむ次よむ


2002年09月06日(金) 秋の葬列

今年の秋は、父方の祖父の三十三回忌です。


祖父が亡くなったとき、わたしはまだ園児だったけど、

葬式の日のことは鮮明におぼえています。

可愛がってくれた祖父の死に顔、白木の棺、そして火葬場の臭いまで・・・

生まれて初めて接した“死”に、

幼いながら、強烈な印象を受けたのでした。

死を怖いと感じたのは、

たぶん、あの日が最初だったように思います。


祖父は、大きな、なつめの古木がある家に住んでいました。

わたしたちが祖父の家を訪ねると、

帰り際に、必ず門で見送ってくれたものでした。

車に向かって並んで手を振る、祖父、祖母、叔母。

けれど、あの日以来、

祖父の姿だけがそこから消えたのです。

そして、穏やかな笑顔で手を振る祖父の姿は、

もう二度と、見ることができませんでした。

わたしは生まれて初めて、

“死の喪失感”を味わったのです。


今年、うちの父は69歳です。

祖父が亡くなった歳も、69歳。

そして、あの頃わずか2歳で、

祖父の死が理解できなかった弟は、

今、祖父の亡くなった当時の、父の年齢と同い歳なのです。


父は、亡くなった祖父に、

面差しが誰よりも似ているそうです。

そしてまた弟は、そんな父にとてもよく似ています。

6人の孫たちの中でも、祖父は弟を特に可愛がっていました。

今考えるとその理由は、

父方の血を、より濃く受け継いでいることと、

無関係でないように思えます。


三十三回忌。

“弔い上げ”とも呼ぶそうです。


人は、死んで三十三年が過ぎると、

極楽往生できるとか、転生するとか・・・

どこかでそんな話を聞きました。

祖父の魂は、今どこに在るのでしょう。

そして、どこへ行くのでしょう。


思うに・・・・

人の一生は、案外短いものなのかもしれません。

自分たちが考えているより、ずっとずっと。

そう・・・きっと、

生きる意味など、考え付く間もないほどに。


人は誰でも、永遠には生きられないのです。

だから、子へ孫へと短い命を受け継いでいくのでしょう。

遺伝子に、ささやかな生の記憶を閉じ込めながら。


9月に入ったというのに、

今年はやけに残暑が厳しい気がします。

けれど、朝夕、頬を撫でる風は思いのほか冷たくて、

秋はここにあるよと、教えてくれます。


墓参りをしましょう。

すっかり足が遠のいていましたが、

優しかった祖父だもの、きっと許してくれるでしょう。


供えるお花は、白がよいです。

秋空にひっそり映える、白いお花。


穏やかな祖父の笑顔を反芻しながら、

なぜだか・・・・

そんなことを、思いついたのでした。


ぴょん

My追加