にっき日和
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母と二人、久しぶりのドライブをいたしました。
萩の寺を訪れたのです。
森の石松で知られる、遠州森町の山あいの寺です。
正しい名前は、蓮花寺というのです。
萩は地味で控えめなお花です。
静かな風情が、初秋にぴったりですよね。
蓮花寺は、想像より小さなお寺でした。
まだ時期が早すぎたのか、
お目当ての萩は、ほとんど咲いていませんでした。
狭い境内は、わたしたちのほかに人影もなく、
ひっそりとした秋の午後を味わったのです。
駐車場に戻る途中、レトロな建物を見つけました。
森町民俗資料館。
もともと村役場だった昭和初期の建物を、
資料館として使用しているのでした。
なんだか昔の木造校舎のような造りです。
中に入ると、こじんまりとした館内に、
古びた、農具や生活の道具が並べられていました。
農具などは、説明を読まないと、
何に使うのかさっぱり見当がつきません。
けど母にしてみると、かなり懐かしい道具ばかりだったようで、
頼みもしないのに、張り切って説明をしていました(笑)
ふと、古い手鏡に目が留まりました。
曇った鏡面に自分の顔を映してみます。
いったい、どんな人が持ち主だったのでしょうね。
黒ずんだ生活道具は、すべて使い込んだ物ばかりでした。
昔の人は修理を繰り返しながら、
だいじにだいじに使っていたのでしょう。
母の子供時代といったら、たかだか半世紀前のことなのに、
日本人の生活も激変したものだなぁと思いました。
「今夜の晩ご飯どうする?」
母の希望で、帰路大手スーパーに立ち寄り、
買い物を済ませることにいたしました。
店内は、ちょうど夏物衣料最終バーゲンの真っ最中。
人々は、ワゴンの商品に群がっています。
拡声器から流れる店員の声。
売り場を駆け回る子供達・・・・
見慣れた光景のはずなのに、
売り場にあふれる物の洪水に、違和感をおぼえてしまいました。
道具としての寿命をまっとうできるのは、
この店内に、果たしていくつあるのでしょう。
わたしたちはふだん、無駄な買い物を重ねているのかもしれません。
本当に必要な物って、
実は、ほんのわずかな気がします。
道具は、ただそこにあるだけでは、ただの“物”なのです。
けれどそこに、
使い手の愛情や共に暮らした年月が加わって、
はじめて価値が生まれるのだと思います。
使い捨ての商品には、価値など在り得ません。
(ここで言う価値とは、 =金額に換算できること・・・ではありません。念のため)
物があって幸せ。
物がなくても幸せ。
自分が探すべき幸福は、いったいどっちなんだろう?
答えは・・・・・・・・・
この秋の宿題にしようと思います。
ぴょん
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