あお日記

2002年07月06日(土) 2度目の文化祭


 わが校の文化祭は毎年9月3週の土日に開催されていたように記憶している。生物部も休部状態ながら河川の水質調査の発表は毎年やっていたのでそれを展示する。結局夏休みに手伝ってくれる人は無く、なぜ入部したのか分からない新入生と顧問の先生とで仕上げた。と言うよりほとんど私一人でやったと言っても過言ではない。私に部長としての責任感など皆無だったが、この状況で負う責任など私にとって大した重さではなかった。

 先輩がいた1年前もダテに展示して終わりといったわが部の文化祭だったので、2年生の時もそれに習っていた。もともと文化祭の喧騒の中に見を置くことなど考えてもいなかったし、校舎の南西の隅にある生物室とその特別棟周辺の静寂はここが学校行事の最中とは思えないほどだった。

こういう状況が『孤独』というものなんだろう...なんて考えていたのだろうか?

 「孤独」なんて言葉には辟易する自分がいたはずなのに。状況というものはとある1面から見られがちだが、そんな判断で自分を「孤独」と呼ぶ人間がいるなら、それはそれで全く構わなかった。「冷静」だと信じていたそれはただの「無思考、無感情」でしかなかったくせに。

 この頃、タケダ君とラザ君が仲良くなりよくツルんで行動するようになった。お互い顔を合わせる時間は比にはならないが、今でも私を含めたこの3人は心を許せる仲といえるだろう。この際、今後は敬称略でいきたい。← 実は面倒だった(笑)

 ラザは私と同じで中学時代からバスケ部。彼は長身で優男風の出で立ちながら自分の持つ芯を失わないマイペース(のんびりといった意味合いではない)派だったといえる。後輩の女子が結成したファンクラブがあったという逸話があるくらい彼はモテモテだったらしいが、そこは『類友』というわけで、ラザも私と同じで意に染む相手以外は眼中にないようだった。
 先輩との折り合いを欠いてバスケ部を退部してフリーだったラザと、前の学校では県内でも指折りの卓球実力者だった、これもフリーのタケダに誘われて私がこの文化祭でただ1つ楽しんだと思われるあるクラブ発表の教室。2人はその後フリーをやめこの部に入部。

 そして半年後、私もこの部に入部した。3年といえば「受験」だというのにね〜。





↑エンピツ投票ボタン

 

一定期間休部状態の部は、予算の分配が無くなる「同好会」になってしまう。生物部の適用はその半年後、つまり私の3年進級と同時にやってきます。いわゆる「格下げ」を大いに望む部長に生物部の未来は絶たれた訳ですね(^^;; 遅ればせながら、関係各位にお詫び申し上げます。天国のG先生、こんな部長でごめんなさい。


 < 過去  INDEX  未来 >


あお [MAIL]

My追加