時間の前後に食い違いがあることはご容赦いただくとして、よいタイミングなので家族について少し話していこうと思います。
私の母方の祖母は私が中学に上がって新居が完成して間もなく同居するようになりました。小学生の頃から近くの公団住宅に別々の部屋を借りて暮らしていたのですが、その頃から私は学校が終わると祖母の家に行ってお使いを頼まれるという生活が続いていました。まあおこづかいが欲しかっただけなんですけどね(笑)。お釣りをごまかして母に怒られたこともあります。 小学校の低学年までは丈夫だった祖母が半分寝たきりになったのは、当時の技術では簡単な手術ではなかった子宮筋腫、まあガンだったわけです。詳しいことは知らないのですが、その手術の際、医師の手際が悪く手術自体は成功したものの関係ない腎臓関係の方まで傷を作ってしまったのです。現在でいわゆる医療ミスってやつですね。 幼かった私には祖母のその変化に悲観を感じるほど多感であったわけでもなく、それでも元気な頃に比べるとだんだん小さくなっていった印象くらいは感じていました。
寝たきりとは言っても体はいたって丈夫なわけです。人為的な傷で腰の両方に尿を直接排出させる袋がぶら下がっている以外は。私がよくおつかいに行っていた頃は祖母自身がきっと参っていて動く気力も無かったのでしょう。もともと女手ひとつで4人の子供を育ててきた人でした。老後は十分な厚生年金がおりる位働いた祖母の印象はひたすらパワフルなものでした。その暗転の心境を周囲のものが実感するのは難しい。
その祖母とまた別居するようなことになってしまったのが高校の頃だったか卒業したあとだったか、正直記憶には無いのです。簡単に言えば私の父が祖母を追い出したのです。このこと以降私は以前よりさらに家族に対して無関心になっていきました。
批判をしないかわりに尊敬もしない。
家族に限らず、それが私にある人間の接し方でした。理屈をどうこねた所で、それが「楽」にむかって逃避している自分の姿であることは否定のしようが無い。
それがどうして「快楽」にむかわなかったのか、自分でもわからない。いや、そんな状況で得る快楽など欲しくなかったからだろうなぁ。
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