家族に対して呆れることは多々ありましたが、それを口にして改善を迫るような気概など持ち合わせていない私は、「血縁」に対する興味というものが全く無くなってしまいました。家族というのはむしろ私にとって敵対関係とは言わなくても、反面教師な面しか見えてこなかったのです。
子供の頃から多くの時間を近くで過ごすのが母であり、父というのは仕事に出ていて家族の一員としてどれだけ子供に認識されるのか、世の中の親は考えてみる必要があるだろう。それは毎日の生活の多忙さを中断させても考えねばならない事柄で、子供にとっては将来の重大事である。家庭は母、仕事は父といった一般的な区切り方に依存して子供を育てるのはもう時代遅れなのである。 ...自分の家庭に満足していないからこう感じていたのではない。むしろ父親の家族に対する不干渉なところは、当時の私にはありがたかった。自分の生活態度や学力の低下、不摂生などの自覚を責めるべき人間だったはずだから...。またそれが逆に家族に対する疎外感になっていって、こうなるともう悪循環の繰り返し。ただひとつ言えるのは、私の家族がその機能を失った原因は多分に私の存在にあったことは否定のしようが無い。
私は子供の頃からことあるごとに母の言葉を口ぐせのように聞いていた。
「お前はお父さんの子だから」
私が持つ父に対する尊敬は全てこの言葉の中にあった。母はさも父をスーパーマンのごとく形容して私の向上心をあおった訳だが、果たしてそれがどのくらい有効だったか? 全てが画餅に帰した今、そして家族の形が変化した現在にならないと分からないことがあるなら、人間はこの先どうすればいい?
「お前はお父さんの子だから」 久しく聞かなくなったこのような言葉をもし私が使う瞬間がこの先にあるのなら、それは確固たる自信に満ちた刹那的でない言葉であるはずだ。 家族など欲しいものか と思っていた自分が現在のように心境が穏やかになったのは、出会ってきた人間の作用はもちろんなのだが、実は自身がそれを望んでいたからだろう。もう後ろを見なくてもいいし、過去の愚を繰り返さない気持ちにもなったから。そして自分の本心を隠さなくてもよくなったからだ。
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