今日から、僕について人生の棚卸しをしようと思った。
---
最初の記憶は2歳頃のことだ。 当時、両親と僕と妹はアパートの2階に住んでいた。 ある日、多分両親が目を話した隙に表にでて、 アパートの階段を転げ落ちた。 何が起きたのか、幼い心ではわからず、 コンクリートの上でただ泣いていた。 その泣いていた姿が、何故か写真に残ってる。
あとは妹が保育ベッドの上で寝ているところと、 上からぶら下っていた、あの不思議なキラキラとしたものは その場で撮影された写真のように、覚えている。
その後、両親は家を買って引越しをした。 まだ歩行器に乗っていた僕は、畳のある部屋でよく転んだ。 そのたび、父親に抱えられていた覚えがある。 父親のやるグライダーが好きで、なんどもせがんでいた。 やがて妹も歩き出すようになったが、 目の病気で母はよく家を空けることが多くなった。 僕は良く分からないままついて行き、パックのジュースを 買ってもらって良く飲んでいた。
庭には小さいながらの庭園のようなものがあって、 季節になると大きなカエルや、アゲハチョウの幼虫などが現れた。 狭い縁側で日向ぼっこをしながら、よく絵を描いたりしていたのだと思う。
5歳になり、近くに歩いて通える幼稚園に通った。 紺の帽子のゴムは良く噛んで伸びてしまい、 冷えるのを防止するために白いタイツを掃かされるのは嫌だった。 その幼稚園は珍しく室内プールがあって、 わりと頻繁に水泳の授業があった。 ただ、着替えるのはいつも隣の講堂で、 そのとき初めて、自分の体の模様が人と違うことを知った。 それまでは、全ての子供はそういうものだと思い込んでいた。
幼稚園でのドッチボールは苦手で、ただ逃げるのだけはうまくて いつも一番最後まで残っていた。 ボールをキャッチすることは出来ないので、 最後はいつもうずくまってしまっていた。
---
昨日の日記は、すまなかった。 悔しさと苛立ちからの宛て付けだった。
何度も言うようだけど、君は、君は自分が思っているよりも ずっといい女だ。卑下する事なんか全く無い。 今でも僕が君を幸せにできたらと思ってる。 出来るなら今すぐ行って抱きしめたいとも思うような馬鹿だ。
でも、そんな馬鹿がこの世にいるんだということを、許して欲しい。
|