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| 2002年12月05日(木) |
0日目:出産!!(長文です) |
※4日の日記、加筆済みですので、お読みになってない方は先にそちらをお読みください。
日付が変わって、5日の午前0時すぎに産院へ到着しました。 すぐにお産の部屋へ入院です。 ここの産院では、お産の部屋と言われる部屋で陣痛から出産までを過ごします。 ベッドは無く布団で、好きな体勢で出産の間の苦痛を耐えることが出来ます。 パジャマに着替えた後、素早く点滴をされ、モニターを着けられました。 通常、初産婦はお産の経過が遅いため、陣痛が5分間隔になってから来院を指示されるのですが、わたしは感染予防の点滴を受けなければならないため、8分間隔で来院しました。 当直の助産婦Mさんは「みんなでりなさんは朝になってから来院すると思っていたから、Nさんなんかは『わたしがお世話するんだ!』って張り切ってたんですよー。夜のうちにいらっしゃるとは思いませんでした。」と笑いながら言いました。 それから、わたしから電話があった後、写真家さんに連絡をしてくれたこと、お産は朝になってからかもしれないけど、一応、電車のあるうちに産院へ来てくださるということを教えてくださいました。 実は、お産の写真を撮影するので有名な写真家に、今回の出産を撮影して頂くようにお願いしてあったのです。
母親の立ち会いを止めた後、そうへいはわたしのお産の補助で写真を撮る余裕はないだろうし、それでも記録に残したいよねと二人で相談して、少々お金はかかってもプロの方に撮って頂いた方が素敵な思い出になると、親にも内緒で依頼しました。 この女性の写真家さんは先生もお墨付きの、本当の意味での「プロ」です。 先生は雑誌の撮影で、他の写真家さんをお産に立ち会わせたことがあるそうですが、そういった方達は間違いなくお産の「場」を壊すそうです。 一方、この方は「場」を壊すこともなく、写真を撮っているのも気づかない状態で撮影し、しかも一番素敵な場面をしっかりと写してくださるとのこと。 写真が出来上がってくるのは時間がかかりますが、このアルバムはわたしとそうへいだけの秘密の宝物で誰にも見せるつもりはありませんので、「見せて。」とねだらないでくださいね。
そんな話をしながらモニターをずっと確認していたMさんが、有効な陣痛(お産に結びつく陣痛)は12分間隔でしか来ていないと言います。 こんなに痛いのに、有効な陣痛が12分間隔と聞いて眩暈がしました。 何故かというと、出産本には10分間隔の陣痛になってからお産までは初産婦で12〜15時間、と書いてあったからです。 この痛みにそんなに長い時間耐えなければならないという事実に打ちのめされ、それでも赤ちゃんが出てくるまではいきんではいけないと書いてあったのを思い出して、なるべく逃すように心がけました。 そうこうしているうちに、写真家さんが到着。 写真家さんも今まで何件ものお産を撮影しているので、わたしの様子を見て「まだまだ元気。お産は当分先になりそうですね。」とおっしゃり、「今晩の休憩場所を他に作りますね」とMさんが言いました。
引き続き、わたしは陣痛を逃し続けました。 その様子を見てMさんが「痛みが来たら我慢せずに、痛みに体を任せていいんですよ。いきみたかったらいきんでもいいし、好きにしてください。」と言いました。(ここの産院では、必要以上の指示は出さず、呼吸法もありません。) そう言われて、たかが「本の知識」に振り回されていた自分を恥じ、「そうだ。お産は本能でするものだ。」と気づきました。 点滴の間は股に向かって下に加わる痛みに耐えるために、便座状に穴の空いた椅子に座っていましたが、午前1時ごろ点滴が終わった後は、そうへいに体を預けて痛みを我慢するのを止めました。 痛みを我慢するのを止めると、自然に声が出ます。 唸りながら、ひたすらそうへいの鎖骨付近に向かって頭突きを繰り返します。 そうへいは肩が邪魔だと思って頭突きをしていると思ったらしく、体を動かしましたが、わたしは固い部分に頭を押しつけることによっていきんでいたため、「動かないでぇ・・・。」と言いながらそうへいに元の体勢に戻ってもらい、再度頭突きを続けました。 そうしている間に、お産は進んでいたようです。 痛みの間隔はどんどん短くなり、わたしは言葉を発することが出来ない状態になっていました。 (出産前のペアレンツクラスで「『痛い』とマイナス方向の言葉を発しないほうがいい。」と言われていたことを思い出し、「痛い」とは結局最後まで1度も言いませんでした。)
時間の間隔が麻痺し、いきみ始めてからどのくらい時間が経ったのか分からなくなりました。 そうへいに頭突きをしている間も、Mさんはわたしの腰をさすったり肛門を押してくれながら「こうした方が楽かな?」と甲斐甲斐しくお世話をしてくれます。 なのに、わたしは恩を仇で返すかのごとく「分かりませんー。」と言ってしまいました。(今から思い返してみると、かなり楽でした。)
体の後ろの方では、気配はしないものの時折シャッターの音がします。 普通だったら、こんな理性を失った姿を他人に見せるのは嫌なものですが、全然気にならないのは凄いなぁ、と感心していました。 顔を上げる気力も、長文を話す気力もなく、短い単語で必要最低限の会話しか出来ないくせに、頭は変に冴えていて、そういった色々なことを考えていました。(あとから他の産婦さんに聞いたところ、そんな余裕はなかったそうで、わたしはやっぱり他人より痛みに強いようです。) しばらくした後パジャマの下を全て脱ぐように言われ、布団の上に白い衛生シートが敷かれて腰にはバスタオルが掛けられたため、お産が相当進んでいることが分かりました。 正直、「もう産まれちゃうの?」と思いました。 後からそうへいに聞いたところ、午前2時頃だったそうです。
それから大きなクッションを積み上げてもらい、上半身を預ける形で四つん這いになりました。 そうへいはクッションを間に挟む形でわたしを支え、痛みの合間で「頑張って。」「もう少しだよ。」と声をかけながら、凄まじい力で引っ張るわたしの手を、必死になって掴んでくれました。 いきみながら「世の中のお母さん達は、この痛みに耐えて子供を産んでるんだから凄い。」「いつか終わる痛みだと思ったら耐えられた・・・なんて良く書いてあるけど、嘘だー!耐えられないよー。」「普通の病院は全開大になるまで陣痛室で一人にされるみたいだけど、こんな痛み、一人じゃ耐えられない。わたしはそうへいは傍で体を支えてくれるし、Mさんはずっと腰をさすってくれるし、幸せだー。」「この痛みで仰向けでじっとしているなんて、無理。分娩台で産む人って大変だなぁ。」「やっぱり痛みに耐える時って、人間は無意識に体を丸めるものなんだ。」「呼吸法なんて、モニターを見ながら有効陣痛の時だけいきみ、他の陣痛は逃すなんて、辛いだけだよ。しかも痛いときに『ちゃんといきんで!』なんて指示されたくないよねぇ。そんなの、好きなときにいきませなよ!」などと考えつつも、(赤ちゃんにちゃんと酸素を送ってあげないと、苦しくなって可哀想。この子も頑張ってるんだ、わたしも頑張ろう。)と一生懸命深呼吸しました。 この頃になると、完全に思考回路が混乱しています。
そうしたわたしの思考の中で、時たま「一円玉」「百円玉」「五百円玉」「伊予かん」と言う声が聞こえてきます。 どうやら赤ちゃんの頭の見える大きさのようで、そうへいはどんどん大きくなっていく会陰の状態を助産婦さんから知らされ、その早さに驚いていたそうです。 Mさんがしばらく席を外して電話をすると5分後に助産婦のTさんが来て、Mさんはわたしの会陰保護、Tさんはわたしの腰をさすりながら何分かおきにハンディタイプのドップラーで赤ちゃんの心音を確認する作業、と分業を始めました。 「あともう少しですよー。」とMさんが言い、続いてそうへいがわたしの耳元で「もう少しだって。」と言いました。 「えぇーっ?もう??なんだか展開が早くない???」と思いながら、ひたすらクッションに顔をうずめていきみます。 すると、再度Mさんが電話をし、今度は2階の自宅から先生が下りてきました。
先生「あれーっ、りなさん、朝になってから来ると思ったのに。早かったわねー。」 Mさん「そうなんですよー。来院されたときはまだまだだと思っていたのに、怒濤の勢いで進んじゃって。ねぇ?」 写真家さん「わたしが来たときは『朝になるな』って思いましたからねぇ。」 先生「やっぱり、沢山歩いていたからだねー。あの子宮口で難産になるとは、到底思えなかったのよ。あら、りなさん(いきみが)上手じゃない。」
そういった会話の後、先生が「りなさん、もう見えてるよ。あらー、随分ふさふさじゃない、この子。」といいました。 ハゲちゃん(髪の毛の薄い赤ちゃん)も可愛いよね、と出産前にそうへいと話していたので「えー!ふさふさなんだー、うちの子!!」と驚きました。(注:この間もひたすら唸ってます。) その後2回いきんだらMさんが「頭が出ましたよー。」と言い、同時に先生が「あらー、真っ赤な良い子じゃない。おちょぼ口だよ、この子!りなさん似だねぇ。」と言いました。 「うちの子、おちょぼ口なんだー!っていうか、わたし似?超音波ではそうへい似だったのに。」と思っていると、先生から「りなさん、もういきまなくていいよ。息を短く吐いていこう。ふーって声出してみようか。」と指示が出ました。 初めて「こうして。」と指示が出たので、これは大切な指示なんだとすぐに分かり、なるべくいきまないように「ふー、ふー。」と息を吐きながら意識を股の間に集中させると、会陰と言うよりは尿道よりに「焼けるような」というのが多分一番近いのでしょう(痛くはなかった)、独特の感覚があります。 Tさんが「なるべく力を入れないようにしてくださいね。」と声をかけてくださいましたが、わたしは情けなく「自信ないですー。いきんじゃうかも・・・。」と答えてしまいました。 そうしてしばらくいきみを逃した後、いきなり(自分では力を加えていないのに)力が加わり、「ずるっ」というか「ぽとんっ」というか、何かが股の間に落ちる感覚が・・・。 「ほぎゃー、ほぎゃー!」とすぐに鳴き声が聞こえ、その瞬間「生まれた!!」と思いました。
「りなさん、おしりつけるかなぁ?」と先生に言われて体を起こし、わたしはその場に座りました。 すると、ちょうどわたしの股の間に少しだけ血の付いた赤ちゃんがいて、すぐに先生が手渡してくれました。すかさず助産婦さんが、赤ちゃんが寒くないようにタオルを掛けてくれます。 そうへいは号泣、わたしはそんなそうへいの様子に気づかぬまま(後になって、ビデオで号泣を確認したのです)赤ちゃんだけを見て、裸でふるえながら泣いている我が子を抱きしめて「よく頑張ったねー、良い子だねー、頑張って、よく生まれてきたねー!!」と声をかけました。 初めて見る我が子は、胎脂が一切付いていない綺麗な状態で、皺くちゃのお猿さんを想像していたにも関わらず、新生児とは思えないほどしっかりとした顔をしていました。
赤ちゃんはわたしに抱かれて落ち着いたのかすぐに泣きやみ、その後もしばらく話しかけ続けると、赤ちゃんに掛かっていたタオルが「ぽろり。」と落ちました。 それで「ふっ」と股間を見ると、付いているではないですか! 「男の子だぁー!」と叫んだ後、そうへいと二人で爆笑しました。 ここの産院は性別の告知をしないのですが、不思議と妊娠中、「女の子じゃない?」と言われたことが一度もなかったのです。 全員が全員「男の子だよ!」と変に確信を持って言っていて、わたし自信も妊娠を自覚したときから「男の子だな。」と思っていたので、まさに百発百中だな、と思ったのでした。 股間の間に付いているもののほか、赤ちゃんの臍の緒がわたしの股間の間から出ているという事実に、そんなことは当たり前なのですが、「あぁ、赤ちゃんとわたしは繋がっているんだなぁ」と実感しました。 思う存分抱かせてくれた後、先生が「そろそろ胎盤が出そうだから、りなさんちょっといい?」と言い、わたしは先生に赤ちゃんを手渡しました。 すると、途端に大声で泣き始め、「おぉ、ごめんねぇ。」と先生が赤ちゃんに声をかけています。 先生に手渡すときに、臍の緒が右足に一周巻かれていて、そうへいと「巻き付いてる!」とびっくりしてしまいました。
わたしが横になったところで助産婦さんがパジャマの前を開くように言ったのでボタンを外すと、裸の胸の上にうつ伏せで赤ちゃんが寝かされました。 赤ちゃんはすぐに泣きやみ、「あぁ、この子はお母さんがわたしだって分かってるんだ。他の人に抱き上げられて、心細かったんだ。」と感動しました。(後からそうへいに聞いたところ、そうへいも「赤ちゃんは分かっているんだ。」と思ったそうです。)
そうへいがわたしの枕元で臍の緒を切り、胎盤を出す準備が整いました。 すぐに陣痛のような痛みに襲われます。 助産婦さんに「いきんでいいんですか?」と聞いていきんだ途端、ずるりと胎盤が出ました。 赤ちゃんの頭越しに時計を見ると午前3時を回ったところで、そうへいに「赤ちゃん、何時に生まれた?」と確認したところ「3時5分だったよ。」と教えてくれました。 12時過ぎに病院について、3時間で出産してしまったという事実を初めて知り、本当に驚きです。
それから、やっぱり会陰が切れてしまったようで縫合することになりました。 その間そうへいは赤ちゃんを抱いて計測に行きます。 切れる予感はしていたものの、「つるり」と産めなかったので「あー、やっぱり切れちゃいましたね。いきまないように努力したんですけど・・・。」と言うと写真家さんが「いや、上手に産めてたと思うよ。あれ、最後は赤ちゃんの力だねぇ。自分から『えいっ』って出てきてたもの。仕方ないよ。」と教えてくれました。 そうか、赤ちゃんも一緒に頑張っていたんだった。 そう思うと更に我が子が愛おしくなりました。
会陰を縫ってもらった後、わたしは血で汚れたパジャマを着替え、白いシートも外されました。 Tさんがへこんだわたしのお腹を触らせて「これが子宮ですよ。」と教えてくれます。 お臍の少し下のあたりに、固いものを確認することができ、「ここに10ヶ月間、赤ちゃんがいたんですねー。」と話しました。 布団に横になっているわたしの横に、羊水をふき取られた(ここの産院では羊水の吸引や分娩直後の沐浴はしません。)赤ちゃんが戻ってきました。
性別 男 体重 2,882g 身長 50.5cm 胸囲 31.0cm 頭囲 31.5cm 妊娠期間 40週2日 娩出日時 12月5日午前3時5分 分娩所要時間 3時間41分(陣痛開始から数えるため。)
パジャマの前をはだけて、赤ちゃんにおっぱいをあげることになりました。 生まれてすぐだというのに、赤ちゃんは上手におっぱいを吸います。 その様子に「生きる」という本能は凄いなぁ、と思いました。 そうへいは赤ちゃんが至福の表情でむさぼり付く様子に「可愛いねぇ。」とメロメロです。
そんなわたし達の所に、Mさんがトレイに乗せられた胎盤を持ってきて見せてくれました。 「通常はこういう状態が本とかで見慣れた胎盤だと思いますけど、これはわたしたちが臍の緒を引っ張って出すからこうなるだけで、本当は裏返したこの状態が本当の胎盤なんですよ。ほら、この袋の中に赤ちゃんが入っていたんです。」と丁寧な説明つきです。 そして、「よく草食動物が産んだあとに胎盤を食べると言いますけど、食べられますよ。昨日産んだ方も食べましたし、希望されるなら食べて頂いて良いですよ。」と言われました。 「胎盤を食べる」という話は聞いたことがありましたが、まさか自分の通っている産院で食べられるとは思っていなかったのでびっくりしました。 が、少し引け腰になってしまい、断りました。 これは後になって実際に食べた方の感想を聞いて「食べておけば良かった。」と後悔しました。 「この子の」胎盤を食べる、というのは2度とないことだからです。 ちなみに、きれいに洗浄された2cm角くらいの胎盤が、骨董の素敵なお皿にちょこんと2切れ乗せられ、わさび醤油が添えてあり、これまた素敵なお盆に乗って、上品に出てきたそうです。 そして味の方は「レバーを想像していたのだけど、赤身のお肉であっさりしていた」とのこと。 本当に後悔しました。
産後2時間ほど、お産の部屋で赤ちゃんとそうへいと3人で過ごし、それから午前5時ごろ入院室へ移動しました。 この2時間は「first 2hours」と言われているものです。 産道を通って生まれてきた赤ちゃんは強い刺激を受けて覚醒しており、この時間を母子で過ごすことが、その後の母子関係に影響を及ぼすと言われています。 入院室へ移動するときはそうへいに赤ちゃんを抱いてもらい、わたしは自分で歩いて部屋へ行きました。 出産後なのに普通にしていられる自分に驚くと共に、ちゃんと歩いて体力を付けておいて良かった、と思いました。
そうへいは7時まで仮眠を取り、一旦実家へ戻りました。 この産院では、出産当日の面会はしないことになっています。 そのため、ご飯を食べるとき以外は赤ちゃんとゆっくり休むことが出来ました。 そして、夫の面会のみは許されているのでそうへいは14時に再度来院し、すやすやと眠る我が子を撫でたり眺めたりして、3人で贅沢な時間を過ごしました。
ここの産院で産めて、本当に良かった。 本当に楽しいお産でした。
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