日々の思い

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本物を食べている?  つづき
2002年07月12日(金)

山下惣一さんのエッセイの続き

食の安全性への信頼が大きく揺らいでいる。
BSE問題、肉まん、冷凍ほうれん草、その他香料添加物など、商品回収が次々行われ、どこまで続くかぬかるみぞの様相を深めている。

消費者が佐賀県内で育てられた牛はすべて「佐賀牛」と思い込んでるようではどうにもならないのだ。では、浅草に海苔はあるか?雷おこしの原料はカミナリか?
今回に限ればBSE騒動で突然消費が豚肉や鶏肉にシフトした。
これとて「和牛」と「国産牛」の違いもわからない人たちが「牛肉」とひとくくりにしたからパニックになったのである。

中途略

日本人が今のような食生活を続けていく限り同じ問題はこれからもおきるだろう。米には原産地と内容表示が義務付けられるが「ご飯」にはその必要はない。
ところで、私の百姓暮らしも半世紀を越えた。30年以上生産現場からの発言を続けてきたが主張は唯一つ
「農業、食糧問題は決して農家の問題ではない。これはかかって消費者の問題である」ということだった。しかしほとんど歯牙にもかけれなかった。まるで相手にされなかった。米の自由化で農村がゆれていたころ、テレビの対談で「消費者の無知が農業をゆがめ滅ぼしている」と発言したら、高名な評論家からこっぴどく叱りつけられた。「消費者は安くていいものを選択するだけでいいのだ。選択されるように努力するには生産者の責任だ。そんなことを言っているから日本の農業は駄目になるんだ」返す言葉はなかった。しかし納得したわけではない。
今も私はそう信じている。今回の食をめぐる一連の事件で図らずも私の発言の正当性が証明されたような気がしていささかの溜飲を下げているところだ。まさに消費者の選択の結果として今の「食」がある。その方向を支持してきたのは他ならぬ消費者、勉強しないと命が守れない、食は命がけの時代は国内農業衰退と背中合わせのこれまでの選択の代償である

中途略  以下意訳

「食」の生産者は農家だが、「食品」の供給者はメーカーで、日本人が「食品」を食べるようになって食卓の向こうの農の風景が遠くなり、見えなくなった。信じられないほど農業に無知になってしまった。
ではどうするか?
あらゆる面で不利な日本の農業だが唯一圧倒的に有利な条件がある。生産者のすぐそばにたくさんの消費者がいる。混住、混在している。私たち農民も消費者なのだ。こんな国は世界中にない。この有利な条件を活かし、地元で取れた農産物を地元で消費することを基本にするならばこんなに安定した強い農業はない。これは選択肢の一つではなくそれ以外の方法はないわけだから、きっとそうなっていくだろう。地元の消費者は宝だ。

「市場主義」から「地産地消」「地域自給」へ。あくまで基本の話であるが。そうやって地域住民全員の財産となるような農業を目指しともに支えあっていくことが消費者としての不安と不信をなくし地域社会と環境を守る唯一の方法だろう。そしてこれはけっして保守主義でもエゴでもない。


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この新聞記事を読んでいて、地鶏とは?佐賀牛とは?和牛とは?
私には区別ができているのかはなはだ自信がない。
地べたにいるにわとり・・・そうじゃないかとも思った。
佐賀牛だって、伊万里牛といわれる特別の牛があることも知っていたが、
それがどう違うのか?
和牛と国産牛の違いは、国産牛というのは乳牛をつぶしたものを指していたような・・・

店で買うときには単にラベルだけを見て、他と見比べて選ぶだけ。
ここまで、突き詰められて食べ物を選んだことはないように思う。
値段が高ければ、上質、安ければそれなりという覚悟でまあ、食べておいしければそれでいいや、主婦としては失格なんだと胸に刺さった記事であった。

消費者は、勉強する場を自分で探してでも「判断することをはじめなければ」第二、第三のカネミ事件がおきないとは限らない。

しかしスーパーにあふれる食品を見て、いまさら選ぶことができるのだろうか?






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