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先週の土日は恒例の味噌作りを手伝いに田舎へ行った。 北海道の友人が福岡に来ていたのでちょっとだけ顔だけ見てそれから佐賀に向かったので着いたのはお昼過ぎ。 いつものように母はもうほとんどの作業を終わらせていた。 残ってるのは一回分だけ。けど、後片付けくらいは手伝えたのでよかったとしよう。もういい加減自分で作ってみたらどうだと夫はたびたび言うのだけれど「まだやりかた、覚えてないから」と、私は実家で母が作ってくれるのをもらいに行く。 母が自分で作ることを生きるヨロコビとしてる以上、これだけは夫には譲れないとひそかに心に誓ってるのだ。 その夜、猫たちが外に出たまま戻らないので弟夫婦が探しに行った。 私も外に出てみたら、星ぼしがなんと大きく瞬いていること。 どうして田舎の空はこんなにきれいなんだろう。 高い台地でもないのに我が家から見る星とは大きさまでもが違っている。 その夜、猫たちはとうとう家には戻ってこず庭先で一晩を過ごしたようだ。 弟夫婦には申し訳ないけどそのおかげで私たちはぐっすり眠れた(猫たちは客がいるとどういうわけか夜中に大騒ぎで走り回ったり、座敷の中に障子を破ってダイビングをするのだ) 翌朝、日の出のころに散歩に出た。 ちょうど高速道路の下に朝日がのぼった。 ああ、大きくてきれい・・・ カメラを向けたけれど高速道路に半分隠れてしまうので、もう少し先まで走って摂ろうと歩く速度を速める。 もちろんラナは大喜び、広い農道は前をさえぎるものはないわけだから、ほとんど跳ねるように走る。 線路の近くまで着くともう朝日はかなり昇ってしまったけれど、カメラを向けシャッターを押す。(自画自賛だけれど、この写真は家に帰ってからパソコンで見ると実際に見たときよりも写し手の気持ちがこもっていい写真になっていた) 朝日には何か特別の力があるような気がするときがある。 たまに、ひき篭り的な気分になってるときに、さえぎるもののないところで見る朝日はとてもやさしくてひび割れた田んぼに染み入るポンプからの水のような、栄養と力を与えてくれる。 これは多分夕日では得られない。 こんなことを感じで帰った翌日、新聞に引きこもりの人に朝日を見せることで社会復帰の道が開けると、取り組んでいるところがあると載っていた。 やっぱり私が感じたあの優しさは本物だったのだと思い、同時に私もひき篭り的な要素を持ってるんだなと二つのことを同時に確認した(笑)
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