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NHKアーカイブスで、20年前のドラマをやっていて、田中裕子さんの顔が、今とちっとも変わらないのにびっくりしたことから見始め、時間が遅いのにもかかわらず夢中になってしまった。 それぞれ、孤独に生きている人々が偶然というか、必然というか出会い、やさしさを持ち寄るように同居する。 家を新築した後、まるで独身のように何年も単身赴任が続く男、母親にほとんどかまってもらえない少年、元警官なのに盗みの常習癖があり、娘に追い出されてしまって住む場所のない老人、そして、田中裕子扮する突然現実から逃げ出してしまって「何でも屋」に働く女。 4人は擬似家族なのに本物よりも家族らしく寄り添って、こころが通い合う。 本当は違うとわかっているのに、人はやさしさがほしいし、夢だってほしい。 老人が遊園地で鳩にえさをやりながら死んでしまう。 彼はもしかしたら、幸せだったかもしれない。似非家族でも、彼がほしかった家族の形を成していたもの。 この作品が作られた1985年頃は家族の崩壊が始まった頃らしい。 作者は、家族とは何かということを訴えたかったという。 少年の母親が男と別れて戻ってきて、子供を引き取るという電話が入る。 彼ら(男と女)は少年を、少年の自宅玄関で車から降ろし、言葉もかけずに走り去る。 少年が追いかける姿が痛々しい。 彼は、あの後どう育つんだろうか。 でも、彼ら(男と女)は他に方法はないのだ。母親に返す以外、少年はいくところはない。 将来少年は施設に入ることになるのだろうな。 男は、旭川に転勤が決まる。 女はついて行くわけにはいかない。 それぞれがそれぞれの旅たちをする。 女は言う。 やっぱり夢を見ることはだいじだと。 彼女は母親に疎まれてそだっていた。「あんたなんか、生みたくなかった」のだと。 それでも、女は、夢を見て生きたいという。 自分を探して見つけたいという。 きっと女は、自分を見つけて、しっかりと生きていくに違いない。 子供を生み育てるに違いないと信じる。 田中裕子さんの素晴らしさにすっかり心奪われてしまう。
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