2005年12月26日(月) |
言葉の黒魔術・白魔術 |
最近、言葉の黒魔術と白魔術、ということをちょっと考えている。 といって、オカルト的な話をしたい、という訳ではない。 今回の考えるベースになっているのは、ちょっと前の糸井重里のこんな エッセイである。
以前に、呪いの言葉 、について考えてみたこともあったんだけど、今回は その延長で。 普段、私たちが何気なく使っている言葉の中にも、黒魔術的なもの、 白魔術的なものってあるんじゃないかな、なんて最近思うのである。
たしかに某占い番組で、人気カリスマ占い師の何とかさんが、 「あんた地獄に落ちるわよ」と言っているのは、占いというよりはむしろ 呪いなんじゃないかな、なんて思ったりする。
ただし、その呪いというか、占い通りに芸名を変えた芸人さんよりも、 占いを拒否して、今まで通りの芸名でいる芸人さんたちの方をTVでよく 見かける気がするのは、気のせいなのかも知れないが。
また例えば、母親が、うちの子はバカなんだから、と本人や、周りの人に 広言してはばからないのも、一つの呪いというか、黒魔術的なものの様な 気がする。
やっぱりね、バカだバカだ言われながら、なにくそーと思う子よりは、 バカなんだからしょうがないじゃん、と開き直ってしまう子の方が多い ような気がするし。
それだったら、たとえ実際に頭はそんなによくなくても、うちの子は頭が よくてー、とか親バカぶりを発揮している親の方が、実害が少なくていい のかも、しれない。
で、私の仕事に関係することでいうならば、例えば、お医者さんがガン 患者さんに余命を宣告するときにも、黒魔術的なものの言い方と、白魔術 的なものの言い方って、あるような気がするのだ。
事実、余命宣告をされた末期がん患者の自殺率は、一般の自殺率よりは 高いらしい。 かといって、ガンの宣告をするべきではない、と言いたいのではない。 物には言い方っていうものがあるんじゃないか、と言いたいのである。
例えば、聖路加病院の92歳の日野原医師は、もう何10年も前からガンの 宣告をしているらしいけれど、人によっては半年以上時間をかけることも あるらしい。
うちの鍼治療院に来る患者さんでも、例えば膝が痛む人なんていうのは、 整形外科の先生から、これは年のせいで軟骨が磨り減っているからで、 もう治りませんね、なんて宣告をされて、うちにやってくる人も多い。
そういう人に対して、黒魔術的に同じ事を断言してもしょうがない訳で。 じゃ、まあとりあえず本当に年のせいなのかどうなのか、やってみましょ うか、といいながら施術を行なうことが多い。
で、事実、症状が完全に取れることは稀であっても、日常生活を満足に 送れる位まで寛快する事はよくあることで。 ただし、絶対うちだったら治りますよ、なんて事は言えない。 それは、白魔術的なものの言い方とはちょっと違うような気がする。
でね、仕事に限らず、普段の日常生活でも、黒魔術的なものの言い方 よりは、白魔術的なものの言い方のほうが、上手くいくことって多い ような気がするのである。
まあ、ズバッと斬ってほしい、断言してもらうことの快感って言うのも あるとは思うんだけど、人生なんて何が起こるかわからないんだし。 だったら、白魔術的なものに包まれている人のほうが、トータルで考えた ら、幸せな人生を送れるんじゃないのかな、なんて思うのである。
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