2006年01月03日(火) |
開かれている・閉じている |
新年は、圧倒的に暇な時間が多いということで、まとまらないままに 結構いろんな事を思いついたりする。 という事で、とりとめもなく、思いついたことを書いてみる。
昨日、ラクーアの温泉に入った後、身体がぽかぽかして、自分の身体が ほのかに温泉から出た後の残り香に包まれていた時、本当にちょっと 幸せな気分だったんだけど、同時に温泉に入る前と比べると、あ〜、 今の自分の身体って、開いているんだなあ、なんて思ったのである。
北風と太陽のたとえではないけれど、寒風吹きすさぶの中を歩いて いる時っていうのは、やっぱり閉じているというか、身体は小さく 縮こまっていると思うし。
でもそれって、寒風の中で凍てついている間には、結構わからなかった りするんだよね。 温泉のたっぷりとした温かいお湯の中であ〜、気持ちいい、っていう 心地よさを味わって初めて気付かされるというか。
でもって、これって普段の日常生活の中でもあることのような気が するのだ。 特に、私のように一人暮らし歴が長いと、知らず知らずのうちに、 自分では閉じてしまっているとは気づかずに、閉じちゃっている 場合ってあるのかもしれない。
例えば、ニュース番組で陰惨な話や、先行きの暗い話をずーっと 聞かされているだけでも、自然と身体や心は、寒風の中にいるよう に閉じていってしまったりするのかも。 かといって、そういったものから全く目を背けていればいいのか、 といえばそれはそれで閉じてしまっている気がするし。 だから、今は寒風吹きすさぶ世の中なのはしょうがない、という 覚悟みたいなものも必要なのかもしれない。
寒風の中の温泉にあたるものが、日常生活では何になるのかは 一概には言えないと思うけど、でも時々はそうやって、温泉に 入るように自分自身を開いてみたり、また自分が閉じているか どうかを気付かされることって、大切なんじゃないのかな、と 思ったのである。
でもたとえば、温泉につかって、あ〜気持ちいい、と幸福感にひたる だけでも、おそらく脳の中ではドーパミンとか、幸福感を増す神経 伝達物質は出ているんだろうし。 でもそれが当たり前だ、なんて思っていると、ドーパミンが出る量も 少なくなったり、感度が低くなってしまったりするのかも。
逆にいえば、やはり大きな幸福感がドーンと1回だけ来て後は不幸、 よりは、小さな幸福感が積み重なっていく方が個人的には好みなん だろうなあ。
まあもっとも、開いている方がよくて閉じている方が一概に悪いとは いえないと思うけど、なんとなく今年は、たとえ小さな事でもいい から、幸福感を発見していけたら、自然と開かれた感じになったり するのかな、なんて思うのだ。
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