2006年01月08日(日) |
ザ・コーポレーション |
日曜日、映画を見に行ってきた。 見てきたのは「ザ・コーポレーション」2時間半に及ぶカナダのドキュ メンタリー映画である。
「企業を精神分析すると、完璧なサイコパス(人格障害)である」という キャッチコピーに惹かれてしまった訳ですね。 で、見てきた感想はというと、「うーん、一言ではまとめられそうに ないかも」と言う感じかも。 いや、何しろ中身が濃くて、簡単にはまとめられそうにない、という 感じなのだ。
この映画は、反資本主義、反グローバリズムの立場から描かれた映画 である。 よく、海外で開かれるサミットの場合に、サミット会場の外側では 活動家のデモとか抗議行動が、ニュースになったりするけれど、 そっちの立場から、企業、法人という擬似の人格を与えられた存在を 掘り下げている、という感じかも。
そこで主に取り上げられていることは主に二つ。 詳しい事例に関しては、公式サイトにも載っているので興味のある人は 参照していただくとして。
一つは、アメリカ企業をはじめとして、「グローバル企業」が発展 途上国に住む人たちの人権や生活権をないがしろにして、利益を 上げているのか、ということ。
例えばボリビアでは、水道会社が民営化された結果として、アメリカの 企業、ベクテルによって1日2ドルしか稼げない住民から収入の25%を 水道料金として徴収し、尚かつ雨水を集めることさえ禁止したりとか。
ちなみにこの企業は確かフィリピンでも同じ事をして、フィリピンでは 勝手に水道管に穴をあけてしまう住民が続発していたはずである。
また、例えばナイキや、KマートやGAPの発展途上国の工場で働く労働者 たちが、いかに低賃金で働かされているか、ということ。 例えば、14ドルのブラウス1着を作った労働者に対して支払われる賃金は 1ドル未満、確か8セント?であるということ。
では、その分の差額はどこに行くのか。 その全てが企業の利益になるのではなく、宣伝広告費、または有能な 弁護士を雇うことにも費やされている。
その結果として消費者はイメージに踊らされ、またメディアはスポンサー からのCM料金が入らないことを恐れて、真実の報道をためらっている。 このように現代の社会を支配しているのが、「人格障害」である企業なの だ。というのが、この映画の伝えたいことだと思う。
うん、それはその通りかもしれない、と思いつつ、でもじゃあ企業活動 全てを否定すればいいのか、と言われるとちょっと違う気もして。
それは、私自身が日本という、市場経済の発達した社会での生活にドップ リと浸かり、企業中心の資本主義に虐げられているというよりはその利点 を享受する事の方が多い立場にいるからなのかもしれないけれど。
GAPの服が手ごろな値段で手に入れられるのも、一方では中国やその他 の発展途上国の人件費が安いからだともいえるわけで。
例えば、人権に限らず、例えば全ての生き物、もしくは家畜動物の生きる 権利を主張すれば、人間は厳格なベジタリアンになる他はない。 実際、そういう主張をしている人も海外の知り合いには結構多い。
でも私自身は、そこまで行き着くことは多分出来ないと思う。 逆にいえば、それだったら自分という生き物一匹が快適に生活をするため に、一体どれだけの地球資源や環境を犠牲にし、また他の動植物の犠牲 なしには生きていけないのか、という事を自覚して、謙虚さを持ちながら 生きていたいと思ったりする。
そして目の前に出された食べ物は、出来るだけおいしく食べていたいと 思ったりする。 その一方で中国で経験したガサガサのトイレットペーパーよりは、最高級 品でなくても、日本のトイレットペーパーが使えて幸せだな、と思う。
つまり、人間が今の時代にある程度幸福な生き方をすること自体、罪深い 事なのかもしれない。
ただし、だからといってこの映画が問題提起している問題に対して、 全て無視しても構わない、と思っているわけでもない。 結局、物には程度というか、分のわきまえみたいなものが必要なのだ、と 思うのである。 Desire(欲望)を持つのはしょうがなくても、それをGreed(強欲)にしない 方がいいというか。
例えばね、アメリカのグローバル企業の場合、彼らが費やす広告宣伝費の 数%でも、例えば発展途上国に建設した工場で働く人たちに還元したり、 もしくは高いギャランティーを要求する弁護士の経費が安く出来たとする ならば、私たちはもっと安いコストで自分たちの生活を維持できるのかも しれない。
日本と、アメリカの企業一番の違いって、やっぱり弁護士とか訴訟費用や 例えば企業防衛に対して支払わなければならないコストのバカ高さの様な 気がするし。 もっとも、日本も段々とそうならざるを得なくなっている気もするが。
でも例えば、企業の社会責任であるとか、エコロジーであるとか、この 映画にも出てきた人たちの様々な告発や活動によって、企業のあり方も 変わっていくのだと思うし、むしろそういう活動も大切なんだよな、と 思ったりする。 だから、意識の片隅にでも、こういう問題がある事は忘れないように したいと思ったりする。
それにしても、アメリカやカナダのドキュメンタリーって、「ボーリング フォーコロンバイン」にしても、「スーパーサイズミー」にしても、映像や アニメーションの使い方が上手いよなあ、と思う。 こればっかりは日本にはない感覚というか。
あと、この映画の中で言っていた、2025年には世界の人口の2/3には、 飲み水が不足する、という話のほうがショックだったりするのだが。 ちなみに本も出ているそうです。
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