パラダイムチェンジ

2006年01月13日(金) 贋作・罪と罰

今回は演劇ネタ。金曜日、NODAMAPの「贋作・罪と罰」を見てきた。
これまた偶然、友達の友達がチケットの処分に困っていたらしく、
私にお鉢が回ってきたである。
ありがとう、友人と、友人の友人。
やっぱり、簡単にはあきらめないって事が肝心なのかも。

さて、見てきた感想はというと、ただ一言「脱帽」である。
こういう作品というか、舞台を作り上げることのできる野田秀樹って、
やっぱりすげえな、という感じ。

物語は、ドエトフスキーの「罪と罰」をベースにしている。
だがしかし、私も他聞にもれず、原作の「罪と罰」は読んだことがなく。
おぼろげに、貧乏な青年が金貸しの老婆を殺す話だというのは知って
いたけれど、この舞台がどれだけ原作を元にしているのかはわからな
かったので、家に帰って Wikipediaで調べたところ、松たか子演じる
主人公のくだりに関しては、物語の構造がほぼそのままだったようで。

主人公が「天才は凡人に対して何をしても許される」という高邁な?思想
の持ち主だったこととか、妹が裕福な地主と結納を交わすこととか、
はたまた、主人公が警察?に問い詰められている時に、冤罪でつかまった
左官屋が自白してしまうところなども。

その「罪と罰」の物語の構造に、主人公の友人として、坂本竜馬こと才谷
梅太郎を持ってきて幕末の話にしたことで、物語は「罪と罰」をはるかに
超える面白さを持ったといえるのかもしれない。

主人公、英(はなぶさ)が、高邁な思想を元に金貸しの老婆を殺すことと、
「思想のために人を殺すなんていかん」といい、血ではなく金の力で無血
革命を成し遂げようとする古田新太演じる才谷梅太郎が、うまい具合に
対極の位置にはまり込んでいるのである。

そしてまた、英の父親の思想も何も持たない人が、思想によっていかに
自由を奪われ、思想によって殺されていくのか、という形になっている
のもうまいなあ、と思うし。

イープラスに載っていた野田秀樹のインタビューを読むと、この作品には
学生運動の当時、それこそ高邁な思想のために、内ゲバによって身近で
人が死んだ、という野田秀樹自身の体験が元になっているらしく。

だから「思想のためなんかで人を殺すんじゃねえ」とか、「人を殺せ、殺せ
なんていうが、自分で人を殺そうなんて覚悟があるのかい?」なんていう
坂本竜馬のセリフは、そのまんま野田秀樹の意見なのかもしれない。

そして、「偉そうな事ばかり言っている割に自分じゃ手を出せない腰抜け」
(とまでは言ってないか)の活動家たちというのは、何となく最近の「ネッ
ト右翼」に対する揶揄のようにも聞こえたりして。


舞台自体は、観客席に挟まれた、通常より狭い舞台を上手く使っている
なあ、という印象があり。
そこに出てくる役者さんたちが、皆実力があるので、見ていてちっとも
飽きなかったのである。

主人公の松たか子は、刀を手にした立ち居振る舞いがやっぱり堂に入って
いるというか、様になっていてさすがという感じだったし。
坂本竜馬役の古田新太は、コミカルな演技もこなす一方で、シリアスな
場面でもちゃんとその場を引き受けられるのは、やっぱり脂がのっている
感じでさすがだな、と思うし。

警官役の段田安則による松たか子を追求するシーンは本当に息つまる様な
シーンだったし、また野田秀樹は、なんでこう主人公の母親役というのを
リアルなというか、おいしい役に出来るんだろう、と思うくらいやっぱり
上手いし。

でも、今回の舞台で一番の驚き(失礼)は、父親役を演じた中村まこと
だったかもしれない。
最初、舞台に出てきたときは、この人の役がこんなに広がって、面白い
物になるとは全く想像できなかったし。
野田秀樹に対してちっとも負けてないというか、むしろ食ってしまう位に
面白かったのだ。

それが演出によるものなのか、それとも役者本人の実力によるものなのか
はわからないけれど(おそらくその両方だろう)、この人がいることで、
この舞台が2倍も3倍も面白くなった気もする。

舞台って、やっぱり物語としての面白さだけでなく、それが生身の役者
さんを通すことで化学反応を起こして面白くなるのを、直接目の前で
見られるって事が一番の醍醐味なのかもしれないなあ。

3月にはWOWOWで放送するらしいので、それも楽しみにしようと思うので
ある。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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