パラダイムチェンジ

2006年04月10日(月) 本当に大事な事が言葉にできない理由

朝カルでの茂木健一郎先生と河合隼雄先生の対談で飛び出した、
「僕は本当に大事な事は話しませんから」という意見を聞いたときに
私は、少し前の「ほぼ日刊イトイ新聞」で糸井重里と作家・川上弘美
の対談の内容を思い浮かんだのである。
いや、本当に関連しているのかは、何ともいえないんだけど。

ということで、イトイ新聞の元記事は>> こちらから

私が気になった箇所だけ引用させていただくと、


川上 書いてる時も、何をしようとしているか、自分ではよく
   わかっていないという部分があるから。

糸井 「言いにくいんだけれども、こんなようなことがいつも
   書きたいんですよね」みたいなことというのは、おありに
   なるんですか?

川上 そこが、よくわからないんです。でも、あるんでしょうね。
   あるんですけど、そこは言葉にしちゃうと書かないでよく
   なっちゃうから。(略)

   言葉にしちゃうということは、何か区切りをつけちゃうこと
   で、定義をつくっちゃうことだから、それはきっと、したく
   ないんですね。
   でも、何かあるんだろうな。ぼんやりしたイメージは。



昔、この箇所を読んだときに、やはりそうそう、とうなずいたんだ
けど、どこがどうなのか、のどの奥に小骨が刺さったような感じで
引っかかっていたのが、今回の対談の中でそうなんだ!と何となく
わかったような気がするというか。

たぶんね、本当に大事なことっていうのを、人に話したり、こういう
ネット上で書こうと思うとき、それをはっきりとした形にしようと
思って、核心まで切り込んだ場合、それはその本当に大事なことを
分析するモードになると思うのだ。

その事について、川上弘美は「言葉にしちゃうということは、何か
区切りをつけちゃうことで、定義をつくっちゃうこと」だと表現した
訳だけれど、それは同時に、その本当に大事なこととの関係性を一度
切ったり、関係性が変わってしまう事を意味するんじゃないのかな。

私はこうしてブログ上で、日々の日記のようなものをずーっと書いて
いるんだけど、いわゆる自分の恋愛感情とか、周りの人に対する思い
みたいなものを書くことに非常に抵抗がある。

それはたとえば、自分の恋愛について、こう思う、と言葉にした瞬間
に、それはすでに過去の事になってしまうというか、言葉によって
その関係性が定義され、固定化してしまうような気がするのだ。
少なくとも現在進行形の出来事に関しては特に。

それよりも、そういう自分にとって本当に大事なことについては、
それを無理矢理形にしようとするのではなく、そのほわほわっとした
ものの周囲をぐるぐると回りながら、その中心から偶然、何かが
浮かび上がってくるのを待って、それを捕まえた方がいいような気が
して。

で、多分その方が、その自分の想念というか根本思想の源泉を枯らす
事なく、アプローチできるような気がするんだよね。
本当にそうなのかはわからないし、個人的な思いつきでしかないの
だけれど。

ということで、
少なくともこのブログでは今後しばらくは、私の
中の本当に大事だと思うことについては触れませんのであしからず。
かといって、ここで書いていることがどうでもいいこと、という訳
でもなく、中心から浮かび上がってきた言語化することに成功した
言葉たち、という感じなのかもしれない。
って、話がわかりにくくてすみません。


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