パラダイムチェンジ

2006年04月30日(日) 「表現することは、『今』をつかまえること」

今回は読書ネタ。今回紹介するのは「おとなの小論文教室」
ほぼ日刊イトイ新聞で連載されている内容を、再編集した本。
だけど、連載自体もう5〜6年?になるので、昔の内容を含めて、
読み直してみると、新たな発見があったりするのである。

今回この本を読んでみて、思わずメモを取ってしまった、個人的に
白眉の箇所はこちら。
以下、ちょっと長いけど引用させていただくと



いま、多くの人が、受験を克服し、大学まで行って、高い授業料を
払い、コツコツ真面目に4年間勉強して大学を出ても、自分の思いを
日本語でしゃべれるようにならない。
そのことに、言いようのない憤りがつきあげてくる。

一方で、自分の思いを実感のこもった言葉にし、人の心に響く域まで
表現できる学生もいる。
その差はなんなのか。
センスではない。文才でもない。理系・文系でもない。
単にアウトプットの場数の違いだ。

表現力のある人は、生活か、仕事か、研究か、人生のどこか、何か
で、自分の内面を表現したり、人に伝えたり、アウトプットの場数を
踏んで、表現力を鍛えている。

表現する機会がなく、継続的な営みもなく、いきなりできる人がいる
なら、教えてほしい。
そんな人はいはしない。だから、自分の想いを言葉で表現できるよう
にするには、とにも、かくにも、アウトプットだ。

自分の想いを言葉にする。人に話す。文章に書く。
発信する。汗をかく。恥をかく。
「お勉強」はもういい。
いつまで、スケートのビデオを眺めて、いつか滑れる、みたいなこと
をやり続けるのか?(略)


表現をする人は、「いま」をつかまえることのプロだと。
作家にしても、写真家にしても、音楽家も、「いま」をつかまえなけれ
ば、二度とできない表現、というのがあって、プロは「いま」しかない
という、その「いま」をパッとつかまえると。決して逃さないのだ、と。

生きて、生活して、働いて、人と関わって、わずらわしいことや、
ちょっとした事件がおきて、去って。あるいは、何もおこらなくて、
倦怠感があって、それでも季節が流れて、人が動いて、また、人と
会って。

そうした日々を生きていてこそ、訪れる、「いま」という二度とない
瞬間がある。(略)


「表現」を、生活と切り離されたユートピアのように仰ぐ人は、「セン
ス」に望み、「どうしたらなれるか」と勉強法にも熱心だ。
「いつかその気になれば」と「いつか」を仰ぎ、結局、「いま」を逃し続けて
いる。
結局、何も自分を表現できずにいる。



でも、その通りだと思うんだよね。
結局、表現するっていうのは、その質はひとまずおいておくとしても、
何かを表現できるようになるためには、とりあえず、アウトプットを
やり続けなければ、自分の思う事を表現なんてできないと思うし、
それは、「お勉強」の形で自分の中にインプットをし続けるだけでは
やはりダメで。
そして、表現するっていうのは「いま」をつかまえることなんだ、と
私も思うのである。

逆にいえば、もしも、何か表現することの、そのレベルを上げたいと
思うのであれば、「いま」を切り取る自分の感受性を豊かにすることな
んじゃないのかな、と思うのである。

「いま」自分が何を見て、何に気付いているのか、その「いま」感じた事の
質感がより豊かなものになるならば、自然とアウトプットして出てきた
物の質も上がっているんじゃないのかな。

そして、私の場合に限っていうならば、そのためにこうやってネットで
文章をつづっているのかもしれない。

別段私は文章表現のプロになりたいわけではないけれど、こうやって
文章を書くために、日々のいろんな「いま」の瞬間に気付くこと、その
中で何に対して感受性を上げるのか、ということが結構、自分の生活
の質感みたいなものを豊かにしてくれるような気が、最近特にするの
である。

だからなのかどうなのか、最近、時間が経つのが結構ゆっくりに感じ
られる時もあったりして。
なんていうのか、一瞬、一瞬が充実している感じというか。

もちろん、その全てを言葉にしようなんて思ってもいないけど、
例えば、料理にしても、フィットネスで身体を動かすことにしても、
仕事をしたり、はたまた、街をぶらついてウィンドウショッピングを
したり、店員さんと会話をしたりすることの全てが、「いま」なんだ
よなあ、と思うのだ。

まあ、その結果、自分の表現力が磨かれたかどうかはわからないし、
正直、この日記の内容に関しては、退化しているのかもしれない
けれど、でも「いま」を生きることの豊かさに気付かせてくれる大切な
きっかけになっているよなあ、と思うのである。



あ、ちなみに蛇足ながら、この本の中には、昔自分が投稿した記事が
載ってました。
昔の自分の書いた文章に再会するのは、なんというか気恥ずかしい
感じでございました。
おお、昔の俺ってば、こんな事を書いたんだっけか、みたいな。
うーん、やっぱりちっとも表現力は進歩はしてないのかも。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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