| 2003年02月17日(月) |
羽田空港対策特別委員会開催、何のための委員会? |
今日は、羽田空港対策特別委員会である。好き嫌いで議会を語ることはどうかとも思うが、本音のところ”嫌い”な委員会である。まずひとつは、毎回提出される”左旋回の騒音測定値”に共産党が噛み付く構図がいやだ。再三発言しているが、朝5回だけ、内陸部に旋回してもいいことになっているのだが、その騒音が80デシベルを超えたかどうか、どうしたこうした。と、30分以上も区の課長を問い詰めている。当の課長は、当事者ではないし、どうした?と聞かれても、答えようがない。それでも、食いつく。そのうち、自民党、無所属、私のいずれかが”いいかげんにしろ”と、次の議論に移るが、そもそも、相手は国土交通省なのだが、相手は区議会には出席しない。本来、国土交通省に対し、大田区としてどう立ち向かっていくか、の意見調整も、この委員会の大きな責務であるはずなのに、委員同士の意見がまとまらない。すでに委員になって1年になるが、委員会として国土交通省に出向いたことはない。羽田の問題は、すでに”騒音対策”から、”跡地利用”、”国際線利用”、”大田区のメリット”と、その論点が変わりつつあるのに、”騒音問題”を、錦の御旗にしている、共産党と、一部のかたがたには、レトロの懐かしさを感じるが、正面から議論する気にならない。 さて、今日は、委員会終了後、地元の町会長などで構成される、羽田空港対策の団体と懇談会があるというので、10時開会の10時半には閉会され、件の議論は行われなかった。この懇談会がおもしろかった。この団体の会長さんが、元区議会、都議会議員で、最後は買収で”別荘”に行かれた方らしい。 懇談というよりも、”俺は、何何をした。昭和○○年には、時の運輸大臣に‥”と、実績大発表大会のようだった。ただ、最後に、ほかの役員さんが、戦後すぐのGHQ命令で、現在の羽田空港”跡地”周辺の住民が”48時間以内撤去”を命ぜられた時の辛さを語られたのは、初めて当事者から聞く話として、ショッキングでもあり、もう少し研究してみよう、と思った。 いずれにせよ、政治とは”能書き”ではない。何をしたか、何をしようとするのか、だ。と確信した半日だった。
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