いっしょくんの日記

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2002年09月16日(月)  米寿

 私の祖母は 米寿です
 88歳・・・・来月89歳です

 夏の花火の日記に書きましたが(8/3)
 両親は両養子ですので 結婚と同時に
 私の祖父母と生活を始めました
 子供のない夫婦で 本人たちよりも
 その母親が つまり祖母の母親が
 二人を案じて 私の父の親に頼んだと聞いています
 父は末っ子ですから そういうことが自由になります
 昔の人らしい考えです
 そしてそこから再び兄と私 兄の子私の子と
 続いていくのですね
 
 祖父母は 子供を知らなかったせいか
 子供はばい菌を運び 家を汚す
 お邪魔な生き物と思っていたようです
 兄や私が外から帰ると まず手足を洗わせて
 歩いたところや触ったところを
 消毒液のついた雑巾で拭いて回ったそうです
 子供なんか生むからいけないんだと 責められたそうです
 食べ物も子供と同じものでないと駄目
 和食よりも ハンバーグ カレー スパゲッティーが好き
 子供が熱を出すと 一緒に熱を出して寝込んでしまう
 当時の苦労を 時々母から聞かされます
 血のつながりの無い義父母を相手に
 母もずいぶん大変な思いをしてきたようです
 ありがたいことに そういう話やそぶりは
 私たちが小さいころ 母は決して私たちには見せませんでした
 ですから 兄にとっても私にとっても
 祖父母はとてもいい人たちで
 私達を次第にかわいがるようになると
 忙しい母に代わり 寂しい思いはさせず
 世話をしてくれた記憶しかありません
 これは母に感謝しています
 その代わりと言っては何ですが
 今 両親から昔の苦労話や 今の大変さを聞かされて
 「それは大変だ 本当によくやっているよね」
 と 聞き役に回ることにしています

 辛いときはどうしていたのか母にたずねると
 海が近かったせいか 子供をおぶっては
 海に行って泣いていたそうです
 母も私もそんなころから 海で癒されていたのかと
 改めて海のありがたさを知ります
 
 両親を訪れるたびに 祖母に対する苦労話が始まります
 どうにもならないご縁て あるものなのですね
 自分の親ではないのに 自分の親よりも
 長く共に生きているのです
 旅行もやっとのことで一泊です
 出かけるときも 書置きをして
 聞こえの悪くなった祖母に
 大声で説明します 
 毎日ともなると 母も大変なのでしょう

 かなりまいった様子で 疲れ果てている母も
 口で言うわりには お風呂で洗うのが大変だろうと
 祖母の髪だけを洗面台で洗います
 できる限り自分のことは自分でするようにと
 祖母に自立を促すわりには 
 「おばあちゃん好きだから 食べさせてあげよう」
 と 煮物や揚げ物を運びます
 「あぁぁ・・私って馬鹿よね こうやってきて
  体を壊したのにね・・・」
 母は 私が中学のころ 心労で倒れ
 救急車で運ばれています 我が家に救急車が止まっていた
 恐怖感は今も忘れません 母は死ぬのか・・・
 そう思い込んで父と兄に電話をした私の話で
 二人ともあわてて病院に駆け込み
 大丈夫だった安心感からか ひどく叱られたものです
 そのころから母は 定期的に倒れ
 入院し 休んで帰るようになりました
 祖母に対する苦労話は 病院で聞かされたのを覚えています
 私が間に立たなければと
 妙にしっかりしちゃったのもそのころです
 祖母も好き 母の気持ちもわかる
 これって・・・高校生とはいえ子供心には複雑でした

 昨日は敬老の日
 今日は祖母に大好きな栗ご飯を炊きました
 市からのお祝いに お菓子をいただいているでしょうから
 大好きな甘いものは 後にすることにして・・・
 ちょうどお昼に間に合って
 おうどんをおつゆ代わりに
 栗ご飯を食べてもらいました
 すっかり腰が曲がってしまい
 しわしわの顔と手足ですが
 祖母はずっと昔の祖母のままです
 嬉しそうに私を迎え
 あのころのように話しかけます
 こんなに大人になった今でも
 祖母にとっては 小さくて わがままで
 転んでばかりいた あのころの私なのです

 両親が養子にならなかったら
 今頃 一人暮らしだったでしょうし
 私とも逢えなかったでしょう
 子供を持たずに 後へと継がれていく
 祖母の運命がちょっとばかりうらやましくなります

 相変わらずの母は
 「何やっても感謝がないからいいのよ!」
 言葉ではそういいますが 母の照れ隠しではないでしょうか
 「私が素直にできない分 優しくしてあげて」
 私にはそう聞こえるのですが・・・

 

        家族


      そこに集まり

      苦楽をともにし

      寝食をともにする

      人は日々 その繰り返しで

      互いが 支えあい 思いやり まとまっていく

      そして「家族」になる

      血のつながりだけで構成されるものではなく

      長い時を共有することができてこそ

      そう呼べるのではないだろうか 


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