あまおと、あまあし
あまおと、あまあし
 山吹の、たちそよひたる 2002年04月26日(金)


 山吹を貫く珠の緒を手繰り 君を招かん春の木陰に
  やまぶきをつらぬくたまのおをたぐり 
     きみをまねかんはるのこかげに

私は、鮮やかな夢を見る方だ。
嗅覚以外の四つの感覚が、ほぼ備わっている。
生まれたての赤ん坊を抱き上げる腕の重さや、柔らかな皮膚の感触とか、風に乗って空を飛ぶときに胸に受ける空気の抵抗とか、それは目覚めた後でも思い出すことが出来る。

ついでに言えば、目覚めているときの経験がすぐに夢に影響を与えるほうでもある。
例えばホラー映画を見る。
と、夢の中でチェーンソーで切り刻まれたり、電動鋸で頭を割られたり(←しかも痛かったり!)
だから私、小学生の頃からずーっとホラー映画は見ていない。
あるいは「ナイルの宝石」という映画を見た日には、ヒロインになって映画の最初から最後までそっくりストーリーを追体験した事もある。
映画というのは視覚に訴えるものだから、夢に変換されやすくはあるのだけれど。
同じようにハマッたゲームやアニメというのも結構登場する。
この場合、明らかに世界は二次元なのに違和感を感じていない自分がいて、後で思い返すと不思議。

一時期は、自分の見たいゲームの世界とかを念じて眠りにつけば、本当にその世界を夢に見ることが出来たりもした。
これは昔試した、自覚夢を見る方法が影響してるのかもしれないが、その話はまた機会があったらという事で。

最近のように仕事が忙しくて意識が現実生活に縛られているときは、夢の中でもしっかり仕事をしている。
ユニットバスの組み立てを最初から最後まで夢でやっていたり。
キッチンの収まりが悪くて、どうやったら見栄えが良くなるか試行錯誤していたり。
こういう時は、目覚めた後で本当に仕事をしたような疲労が残っていて、色々な意味で最悪。
夢の中でくらい、現実の生業からは離れていたい。


とにかく。
私にとって夢の世界というのは、かなり確かに存在しているもので。
そこへ、ずっと昔に死んでしまった人が出てくるというのは、精神的にダメージが大きい。
その人の少し高い体温とか、目じりのしわとか、短くてクセのある髪とか、かすれぎみの声とか、寸分の狂いも無く再現されていて。
目覚めている私は、もう朧にしか思い出せないのに。
あなたは、何故そこにいるのかと、もう何処にもいないはずではないのかと、そう問いただしたくなるのだ。
それが一度でなく、何度か続くと、苛立ちすら覚えるのだ。
喪ったものを、取り戻したいと願ってなどいないはずなのにと。

あるいは
私の無意識が、その人を招いていたりする、そんな事などあるのだろうか。
そんな情の深い人間では、ないはずなのに。


 山吹を貫ぬる珠の緒を手繰り君を招くは誰が魂か
  やまぶきを つらぬる たまのをほたぐり
     きみをまねくは だれが こころか


   



過去 一覧 未来


My追加
 著者 : 和禾  Home : 雨渡宮  図案 : maybe