note「猫」 2002年05月11日(土)
観察者としての立場が明らかな烏(からす)に比べ、猫の調停者としての役割はあまり知られてはいない。 これは猫自身に、調停者としての自覚がないことに由来するのだろう。 先ず第一に断っておかなければならないのは、調停者という役割の特殊性だろう。 言葉の響きから一般的に想起されるような、<争いを静める>という働きはここでは含まれていない。 世界の傾きを押し留め、どちらの勢力も優位にならぬように平衡を保つのが、<調停者>の役割であり、その手段として<狩り>が行われる。 この<狩り>の対象は、相対的善の側にも悪の側にも限定されない。 一件幼く無力な存在であっても、それが世界の傾きを加速させるなら、狩りの対象になるのだ。 (故に猫は全ての存在の敵であり、また味方である) 続いて留意すべきは、彼らの殆どが自らの役割を自覚することがない事だろう。 烏(からす)が観察者としての立場を自覚し、その上で収集家として己の楽しみを追求するのに対し、猫たちの調停者としての働きは、一般的に本能の命令として解説される、衝動的かつ遊戯的な狩りの形で発揮される。 猫たちに尋ねたところで、決して狩りの理由は明らかにされないだろう。 あくまでも、平衡を保とうと欲するのは<世界>である。 そして<世界>の意思に善も悪もあってはならず、故に<狩り>は愛憎によらぬ無意識の衝動として、彼ら猫を動かすのである。 この無意識から命令される<狩り>の、愉悦にのみ目覚め狩人として自覚を深めていくと、恣意的に敵味方を選別し殺戮を行う、<猫又>となる。 逆に無意識の命令の意味を深く思索し、世界の意思の方向を見定める能力を身に付けたものが、調停者の調停者、<猫神>となるのである。 猫神となる例は非常に報告が少ない。 これは神となった時点で、世界の表層での存在が困難になるせいであろう。 あるいは、人間という欲望にのみ自覚的で、世界意識にはとことん無自覚な存在の傍らにあるのが辛いのではという、一部に意見も存在する。 最後に、人間でありながら調停者としての役割を担うものも、歴史上僅かではあるが存在することを記しておこう。 彼らも猫たちと同じく、己の役割に無自覚である。 歴史の流れに止むを得ず流され、剣をとる存在として彼らは現れる。 彼らは<世界>が用意した物語に従い、敵を想定し戦いに向かう。 その敵が決して善に限定されないことは先の例と同じである。 また、猫の狩りよりも大きな流れの上で行われる彼ら<人の調停者>の狩りは、累々たる屍と血の海に彩られる。 故に彼らは望むものを得ることが出来ず、まさしく歴史の傀儡として不遇のうちに一生を終えるのである。 |
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