あまおと、あまあし
あまおと、あまあし
 逃げる。 2002年06月01日(土)

言葉というものは、常に誰かに向かって発されるもの。
……なのだろう、基本的に。
でも。
信頼できない、信用できない。言葉、が。

というのは中学生の頃からあって、家族意外と一言も口をきかない日が三年以上続いてみたりとか。したのだ。過去。
そして今、こうやって書いている。
誰にというのでもなく、自分自身のみにむかっていうのでもなく。
語りたい気持ちを、語りたいように。
でもその根本に言葉への信頼が無い私の言葉は、きっと空疎で届かないものなのだろうとも思う。
スタンド立てたまま、自転車のペダルを踏みつづけているようだ。

古文をちょっとでも学べば、現代と表記上は全く同じ単語が、かの時代では全く違う意味合いで使われていたことが解る。
いったい、その言葉が人々の間で交わされるうちに、どんな風に変質していったのか。時は決して断たれてはいない。
人の営みは絶えることなく続き、言葉は交わされつづけ、変わりつづけて。
髪の毛ほどのずれが蓄積され、蓄積され、辞書なしに理解できないほどに変わり果てる。既に異国語と思うほどに。
そういうのを考えると、怖い。
本当に、言葉をつきつめようなんて思うなら、積み重ねられた人々の営みの、その底のほうまでさらってこなきゃいけないんじゃないか、なんて。


そもそも、私の思う怖いが、この一言で伝わるのかといえば。
多分伝わらないだろう。
じゃあなぜこうして書き連ね吐き出すのかと問われれば、言い返す言葉を持たないのだけれど。

だから、逃げてるんだろう。
書き捨てて、逃げる。逃げる。

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 著者 : 和禾  Home : 雨渡宮  図案 : maybe