note断章 / N, E, ナビゲーター 2002年11月06日(水)
幸せって奴は、一体なんだとおもう? それは別に、誰かと一緒にいられる事ではない。 おなか一杯食事が出来ることでもない。 健康で長生きが出来ることでもなければ、戦争の無い平和な国に生まれることでもない。 裕福であることでも、貧乏だけれど家族に愛されていることでもない。 君が頭に思い浮かべる幸福の形、その全てが「しあわせ」とはほど遠いものだ。 咲き誇る薔薇の花を見て、あるひとは「うつくしい」と思うだろう。 またある人は、「良い香りだ」と思うだろう。 あるいはその薔薇を手折り、誰かの部屋に活けなければならないために、「刺がなければ良いのに」と考える人もいるだろう。 なにか一つの事象を見て、人のうちに去来する感情は全く人それぞれだ。 同じように豊かで平和な村に生まれたとして、その平穏さを疎ましく思う人間とているだろう。 世界は、事象は、見る人間と同じ数だけの様相を持つのだ。 だとしたら、明確な形のある「幸せ」など、どこにも無いのだとは思わないか? 俺は思う。 しあわせって奴は、そう感じる心を持っているかどうか、なんじゃないかと。 幸せだと思う心の働きを、有しているかどうかなんだと。 美しくも無い、優秀でもない女が隣にいて、そいつとずっと生きていく。 それを「しあわせだ」と思うことができるなら、それは幸せなんだ。 戦いばかりの世界に生まれて、誰かを殺すためにしか生きられないとする。 それでも、誰かを、何かを守るために自分の命が役立って幸せだと思えるなら、 そいつは「しあわせ」なんだ。 なあ、お前は、どうだ。 理不尽なこの環境に生まれ、しあわせだと思えるか? 今この瞬間に俺に殺されたとして、自分の人生は幸せなものだったと、そう思えるか? |
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