あまおと、あまあし
あまおと、あまあし
 郷愁。 2002年12月22日(日)

辺りは一面の雪化粧。
で、あるのに。
唐突に、夏の、海辺の朝を思い出していました。

幼い頃から、毎年お盆をはさんで一週間。
舞鶴の、市街地から湾を挟んだ対岸の小さな集落にある祖母の家へ
家族揃って出かけたものです。
山しかない信州の景色とはまた違う、原色の鮮やかな景色が、
行かなくなって久しいというのに、まだ、私のうちに残っています。
一日中聞こえる波の音、それは早朝には一際耳について
まどろみの中にある意識を揺り動かすのです。
そして、トンビの声。
遠く、近く鳴き交わす声が、夢路と現実の狭間に響いて。
今でも鮮やかな、記憶のひとこまとして、私のうちにあります。

私は、海と、山とに育てられました。
舗装道路が集落にたった一本しかない田舎の、鬱蒼とした森に囲まれた小学校。
通学路の彼岸花、お寺の紅葉、夕暮れを飛ぶコウモリ。
マムシの出る裏山。竜神様のいる泉。森の奥にある天然のスケートリンク。
そして、祖母の家から坂を下った、すぐの波止場、
びっしりとついた牡蠣。ムラサキイガイ。
ナマコを拾って、ヒトデを手裏剣にして、くらげに刺されて。

──そのどちらも、今はもうありません。

数年前に祖母の家を尋ね、集落の佇まいこそ変わらぬのに、目の前の海の余りの変わりように絶句しました。
さし入れた手の指さえ見えない、濁った海。潮の匂いさえしない、死んだ海。
峠を超えた場所の海水浴場も、泡立ち濁り、潜って魚や貝を捕まえたことさえ、そこではないどこか別の場所であったかと不安になるほどに。
もう一つの故郷も。
大きなバイパスに貫かれ、どこに行っても同じパチンコとフランチャイズの店が建ち並ぶ、無表情な街に変わっていました。
記憶のカケラは、どこにも、見つけられません。

みんなみんな、
失われていくのだと。
そして郷愁が、本当に郷愁としてしか語ることが出来なくなったのだと。
帰る場所はもう、記憶の中にしかないのだと。

険しく聳え立つ山と、雪に覆われた街並みと。
今、うつくしいと思うこの景色も、いつか帰れぬ場所になるのでしょうか。
帰れぬ場所を、戻れぬ景色をいくつも幾つも心の中に焼きつけて
それは、幸せなのかそれとも、不幸せなのか。

………自分が年をとったのだと、痛感する瞬間、でもありました。



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 著者 : 和禾  Home : 雨渡宮  図案 : maybe